蔑ろにしてきた地元大阪を、ちょっと好きになった話
生まれてから25年。下宿やら留学やらで離れることはあったけど、なんやかんや地元の大阪で暮らしている。人生25年3ヶ月のうち、なんやかんや22年くらいは大阪にいる。
しかし、京都で下宿し始めた頃から、なんとなく「大阪を離れたい」という想いを持つようになった。いま思えば、外の世界を知ったことで、これまで自分がいた場所を否定することで前に進もうとしていたんだろう。
「これがいい!」「これが嫌だ」という気持ちを自由にさせすぎると、つい二元論的な見方をしてしまう。
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天王寺、花鳥風月
昨日は、天王寺の公園にいた。地上300m、日本一の高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」がある町だ。
前提、わたし的に大阪を東京で例えると、こんな感じ(たぶん全然違う印象を持つ人もいるだろうが)。
話を戻す。公園にいたのは用事のついでで、特に目的はなかったのだが、すごく豊かな時間だった。
まずはこの鳥。サギ(だろうか)。
なんとも凛々しく、美しく、気品がある。
この世界が自分の世界だと信じて疑わないかのよう。視野が300度以上あると言われているその視界は、一体なにを捉えているのだろうか。
この鳥は、わたしがベンチに座っていたら飛んできて、近くをテクテクと歩いていた。大阪市では、ハト・スズメ・カラス以外の鳥を見るのは珍しい。
なので近くで見てみたいと思い、3mほどの距離まで接近すると、飛んで木の方へ行ってしまった。写真はその時のもの。
木の近くまで行くと、今度はヒトには触れようがないとわかっているのか、微動だにしなかった。やはり鳥は、高いところにいてこそ鳥なのである。
わたしは10分ほど、木の周りを一周ぐるぐるしながら、ウォッチングさせてもらった。
ずっと見ていると、いろんなことが伝わってくる。
まず、微動だにしないというのは嘘で、実は微動していること。風で翼や羽がゆれたり、微妙にバランスが悪くなったのか軸足の位置を調整したり。
次に、「なにか」を待っているということ。
餌なのか、仲間を待っているのか、鳥に無知なのでよくわからないが、たしかに「なにか」を待っているように見えた。
でなければ、あんなに集中して何十分も木の上に立ち続けたりはしないだろう(いや、するのか・・・?)。
そして、鳥の次は花。
花鳥風月とはよく言ったものだ。昼なので月はないが、まさに花と鳥と風じゃないか。
絵の具なら白を使いたくなるほど、淡いピンク。透けている感じもいい。
力強さは感じないが、たしかに生きている。上を向いて、花を咲かせて、全身で風と太陽を浴びている。この花が数日、数週間で散っていこうと、わたしの心の中で生き続ける。
大正、グルグル橋と船
今日はいろいろあって、家から12kmも離れた大正区でスマホの充電が切れてしまった。しかも自転車に乗った状態で。
ちなみに大正区は、大阪湾に面しており、オリックスの本拠地「京セラドーム大阪」がある。
高1の冬だったか、WBCの壮行試合を観戦し、ヤクルト相川捕手の3ランホームランを生で見れたのは、一生の思い出。球場全体が熱気に包まれ、ドーム内で何度も何度もウェーブが起こった。
だが他区民としては、あまり訪れる機会はない。
東京で例えると・・・江戸川区か江東区?(どちらも詳しくない)
普通に帰れることは帰れるのだけど、わりと方向音痴なので困った。いかんせん疲れも溜まっていたので、遠回りはしたくない。
わたしは決めた。人に道を聞こう。できることなら、地図アプリを見せてもらおう。
人に道を聞くとき、誰もでもいいっちゃ誰でもいいのだが、合いそうな人を探した。直感的にピンときたのは、バス停でスマホを見ているおじさんだった。
バスを待っているので時間に余裕があり、スマホを見ているので地図アプリを開ける。おじさんなので、変な疑いを持たれづらい。そんな3つの軸で無意識的に検討していたようだ。
おじさんはとても親切だった。道を尋ね、話をしている途中でバスが来たのだが、「またすぐ来るしええよ」と説明を続けてくれたのだ。あたたかい。
おじさんによると、わたしがおうちに帰るには、2つの道があるらしい。
1つは、ちょっと遠回りだがシンプルなルート。おそらく迷わない。
もう1つは、近いがやや複雑で、グルグルした橋の下から船に乗るルート。
「グルグルの橋・・・?船・・・!?」
予想外のワードが連続した。口頭の説明だけでは咀嚼できなかったが、おもしろそうなので後者を選択。
自転車で5分ほど走ると、そこにたどり着いた。
グルグルの橋は、本当にグルグルだった(写真を撮れなかったので、知らない人のツイートを貼っておく)。
そして、船もあった。「どのタイミングで出発するんだろう・・・チケットはどこだ・・・これはもしかして無料…?」などと混乱しつつ、いかにも慣れてますよという表情を装って乗船。結論、15分置きで無料だった。
通称メガネ橋と呼ばれる千本松大橋は、1973年に完成したらしい。そして、完成当初は船舶運行を終了する予定だったが、「こんなえらい坂の橋を徒歩や自転車で渡るのは大変やで!」みたいな声が多くあり、今も続いているそう。
船に乗ると、周りには自転車の男性が3,4名いた。わたしは自転車を船の壁に立てかけ、景色にのめり込んだ。
黒みを帯びた海、年季の入った港湾、遠くにそびえ立つあべのハルカス・・・ああ、これぞ大阪。
見慣れた景色ではなかったが、古き良き大阪の原風景がそこにはあった。
船は海の表面を切り裂き、大正区から、天王寺区と隣接する西成区へと渡っていく。大正時代中頃のおよそ100年前から現在まで、船で何十万、何百万という人々が2つの区を行き来してきたのだなあ。
もちろん実際の記憶にはないが、歴史の教科書や、6年前の朝ドラ「べっぴんさん」など、いろんな映像が頭に浮かぶ。
天王寺、逢坂
船を降りて帰る途中、天王寺で「逢坂」と出会った。
この2文字を見た時、「まさに、ここは逢う坂だ」と思った。商業の町、貿易の町、文化の町である大阪は、人と人が出逢いと別れを繰り返してきた。
正しい意味は以下の通りで全然違ったが、これはこれでいいんだと思う。
おわりに
このような2日間を通して、自分なりに大阪を好きになれた。
大阪で生まれ育つ中でずっと、調和や尊重よりも、笑いを重視するノリが合わないと感じていた(笑うのも笑わせるのも好きだけど)。
だけど、無理にそこに合わせようとせず、自分がいいと思えるところを見ていこうと思った。
大阪との関わりは、これからも少しずつ育まれていくだろう。
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