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「ギフテッド教育」を学ぶ、そして、HSCとの出会い

夏の学びをnoteにまとめよう、まとめよう、そう思いながらも、日々の業務や家庭のことで目が回っていたら、もう10月。早いものです。

今年の夏も、私なりに様々学びを進めようと手を出してきました。

ただ、今年は夏以前から「ギフテッドチルドレン」「ギフテッド教育」のワードが私の頭と心の大部分を占めています。そういったこともあり、この夏参加した「才能はみだしっ子フォーラム2021『ギフテッド教育への招待』」というオンライン講座の学びを通して、私なりに考えたこと、そしてその後、教え子の保護者からHSC(Highly Sensitive Child)への理解についてお話をいただいたことをnoteにまとめようと思います。

今回参加したギフテッド教育の講座に縁することができたのは、「才能はみだしっ子の育て方(主婦の友社)」をご出版された酒井 由紀子さんとの出会いからでした。ギフテッド教育について、酒井さんが東京新聞で特集されており、それを私がFacebookでシェアしてからのことでした。酒井さんとの出会いは、私が抱いてきた「こういう子って、“発達障害”とだけで片付けてよいのか」という、ずっとモヤモヤしていたことを解消して下さるありがたいご縁でした。

また、目の前の子どもたちを、これまでよりももっと視点を広げて見ていけるようになってきていることが、何よりもありがたいことです。

さて、それでは、「才能はみだしっ子フォーラム2021『ギフテッド教育への招待』」で学んだことを、当日とったメモと遠くなってしまった記憶とを辿りながら、私の記録として綴っていこうと思います。

まず、上越教育大学の角谷詩織先生のお話から。

角谷先生のお話は、酒井さんから以前に期間限定配信のオンライン講座を教えていただいていたので、この夏の講座ではいくつか重なる点もあり、改めて確認できたことが多くありました。

ギフテッド児=頭の良い子。という誤解がまだ多くあることをお話しされていました。このことについては、夏前に見たオンライン講座で、NHKの「クローズアップ現代」が単なる天才児という側面だけを報道したのも誤解の一端だとお話されていました。報道の慎重さも同時に感じたことでした。

角谷さんは、“優秀児”と“ギフテッド児”を比較しながらお話を進めました。

クラスに1〜3人はいると考えられているギフテッド児は、優秀児のような模範的で、教師を助けるような発言や行動が目立つ子ではなく、ほとんどがいわゆる“問題児”と見られる姿だと言います。

ギフテッド児は、困った点だけがクローズアップされ、発達障害とみなされ、もっと進むと適切ではない服薬へとすすんでしまい、本来の姿を抑え込まれてしまう、といったものでした。

優秀児は答えの返せる範囲の質問や意見を投げかけるが、ギフテッド児は簡単には答えられない質問の数々。また、優秀児は順を踏んで学びを進め系統的であることが多いが、ギフテッド児はステップ2からステップ10までひとっ飛びすることが多いそうです。例えば、計算が速いが筆算や計算のメモを書かない。友達に教えようとしても、途中が飛んでいるため、伝わりにくいといったことがあげれていました。

ギフテッド児は、語彙力についても、同年齢の子とは遥かに上回った高度な語彙を知っていて、用いることができるとのことです。また、優秀児は公正や公平とは何かについて、しっかりとした考えを述べることができますが、その範囲は限定的だといいます。それに対して、ギフテッド児は人類の公平性に基づいた判断であり、自分の損得は二の次という考えに立つ子が多いそうです。正義感が異常なまでに強いとされるギフテッド児の特性にもとてもつながるお話でした。

次に、愛媛大学の隅田 学先生のお話。

“One model fits all”型教育への限界。つまり、画一的な教育への限界ということです。これは、歴史を辿っていくと、明治も終わりの頃から騒がれてきています。少しずつ子どもが主体的な学習スタイルは生まれてきてはいるものの、未だに画一的な考えをもつ教育者が多くいるのは現状だと感じています。

ここで例に上がっていた米国の5歳児のことについて考えさせられました。

それは、その5歳児が3桁のたし算やひき算をしたり、大統領の話をしたりするといったことでした。そのまま小学校に入学したら、私の感じている限り、大半の教員、その他の大人が「変な子」「変わった子」と受け止めてしまうことが現実にあるのではないかと感じています。また、学校生活の態度が悪ければ、「発達障害」とされ、不適切な支援や服薬へと進むのだと感じます。

隅田先生のお話の中で、理科の学習に対するギフテッド児の態度や反応がとても明確であり面白いということについて、一応理科を専門・・・いや、理科を教えるのって楽しいなという程度ではいますが、そんな私にとっては興味深いことでした。でも、確かに私が授業をしてきた中で、授業にかなり前のめりになる子、特定の分野についてかなりの熱量を発揮する子など、振り返ってみると教職員の中で「変わった子」と話題にあがる子が多くいました。現在受け持っている子たちにも、理科の授業の中でそういった反応を見せる子はいます。

ギフテッド児は、才能と学習困難の両面をもつ子もいるという点については、学校現場は拙速な判断ではなく、今よりも広くじっくりとそういった子を観察し、適切なアプローチのあり方を考えていく必要があると思います。

中央教育審議会(2021)「令和の日本型学校教育」の中に、「特定分野に特異な才能のある児童生徒」、「個々の才能を伸ばすための高度な学びの機会」、「才能を十分に伸ばし」といった言葉が見られる点に、日本の教育も少しずつ変化が見られてきているとお話しされていました。中央教育審議会や文科省、そして学校現場が対話を重ねていくことで、そういった大事な視点が生きて動き出すのだと思います。でも、どうしてもトップダウン的になってしまっているのが現状です。中央教育審議会、文科省のあり方、動き方も見直されると、少しずつ学校現場と行政の風通しが良くなり、それはそのまま子どもたちによい影響となっていくと感じています。

次は、ギフテッド当事者の土居綾美さんとの対談がありました。

・学校の授業がつまらなかった  ・同級生と話すのがつまらなかった  

・同級生をどうしても年下に見てしまった  ・授業中は理解はしていたが手を挙げず、反応もせず「分かっていること」を隠していた

これらのお話は、授業を含め、ギフテッド児と特性が重なる子への視点として大事にしたいと感じました。

続いて、一般社団法人 ギフテッド応援隊 代表理事の冨吉 恵子さんのお話。

ギフテッド児をもつ保護者の方の集まりだそうです。こういった集まりがあるんだなと、自分自身の学び不足を恥ずかしく感じます。

冨吉さんのお話の中で、ギフテッド児の多くは、プロジェクト型・探究型の学習が好きであるとありました。これは、実感としても感じていることです。また、プロジェクト型・探究型と聞くとなんだか新しい教育方法のように聞こえますが、かなり古くからは大正新教育運動の頃からそういった動きがあったわけで、やっと日本の教育もそのような流れが広がりつつあるのだなと感んじています。ただ、私も含め学校現場の意識と行動の部分ではまだまだ鈍いものを感じています。

最後は、私がギフテッド教育を学ぶきっかけとなった酒井 由紀子さんのお話。

ギフテッド教育について、世界会議が開かれていることに驚かされます。

今年、世界初の教育者向けギフテッド教育の世界規範が策定されたそうです。それは、様々な国の実態を考慮した上でのことでした。

ご紹介があった内容の大まかな意訳の中には、次のようなものがありました。酒井さんからは、正式に公表されるため、以下のことは参考までにということでした。

◯全ての教育者が各人の役割に合わせたギフテッド教育を学ぶ。

◯学ぶ内容は学校コミュニティ全体のプログラムとして策定する。

◯ギフテッド教育の内容は継続して改善・拡張しながら推進する。

◯ギフテッド教育は政策に組み込まれ、常に内容を監視・整備されながら持続可能とする。

◯教育者が支援者としてギフテッドの学生と、彼らが必要とする支援を奨励できるようにする。

こういったものでした。私は、特に2つ目の「学ぶ内容は学校コミュニティ全体のプログラムとして策定する。」について、私の学校や地域でも取り組まれているコミュニティスクールにも組み込まれるべきだと感じました。正直、今取り組まれているコミュニティスクールは、体裁だけ整えた表面だけのものでしかないと感じています。どうも、子どもが真ん中に置かれて話し合いがされていないように感じてしまうのです。「いや、子どものための話しをしている」と反論されそうですが、酒井さんがあげてくださったような、ギフテッド教育の視点とか、子どもが主体的になる学びを学校と地域で実現するための議論とか、そういった、子どもが本当に必要としていることは何かを話し合えていないと感じるのです。

また、酒井さんは、先ほど愛媛大学の隅田先生もあげていましたが「令和の日本型学校教育」について、「特定分野に才能のある児童生徒に対する指導」(令和3年1月26日)の議論がスタートしてから、今年の7月14日、8月26日にも議論が進んでいるとお話がありました。酒井さんは、次の学習指導要領に入り込んでくるのではないかとされていました。しかし、その議論の結果を待つのではなく、「プロセスから学ぶ」ことを大切にすべきだとお話されました。どういったことが議題として話し合われているのか、プロセスの中での情報を収集してチェックしていくことが重要だと言われていました。

私は、酒井さんのご主張にとても共感しました。どうしても学校は結果を待ってしまう文化がまだ根強いです。また、現場にブレーキをかけさせ、行政側が結果を待たせる自治体も多くあります。そういった現状への打開はなかなか時間のかかることです。そのために、私のような者が学校内にギフテッド教育の考えを広げ、理解を促進していくことも、結果を待たずできることだと考えました。

今回のオンライン講座を受けて、校内への発信がまだできていない状況ですが、無理のないタイミングで発信していこうと思います。

2学期が始まり、私は毎年、学級通信に夏に学んだことをコラム欄を設けて発信しています。そのせいだったのか、ある子の保護者の方から相談がありました。それは、その子が「HSC」であることでした。つまり、あらゆることにとても敏感な子であるという特性をもつ子です。お話をお聞きする中で、お母さんもHSPの傾向があると打ち明けてくださいました。そして、こんな本を読んでいるんですと、本を出して下さいました。その保護者の方は、とても分かりやすいものだとご紹介いただき、確かにマンガもたくさん入っていて、HわかりやすくHSCが紹介されていました。

私が「あの〜、この本、お借りできますか?」と聞くと、とても喜んでくださいました。「先生、ギフテッド教育にご関心があるから、きっと読んでくださるだろうなと思っていました。」と、改めて本をお貸しくださったお礼のお電話をした際、そのようなことをお話くださいました。

私には、2人の子どもがいます。長男は4歳です。ギフテッドやHSCを知れば知るほど、長男の特性と重なることが結構あります。育児書が参考にならないことが多々あります。子をもつ前から、「発達障害」というだけの視点に疑問をもってきたこともそうですが、長男のことも含め、ギフテッド教育とHSCとの出会いは、必然だったのかもしれません。

これからも、細々ですが、学びを進めていこうと思います。

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