12月に入った途端Spotifyが馴々しく「タマネギのようにたくさん層を重ねた1年でしたね」って分析してきて笑った

12月、師走に入りました。もう今年も終わったようなものです。12月とか秒なので。

12月に入るとSpotifyが今年の自分を分析してくれますよね。Spotifyユーザーなら分かると思う。
本当はApple MusicとSpotifyの二刀流だったんだけど、Apple Musicの学生プラン(?)が終わってそのまま放置していたらSpotify一本のヘビーユーザーになっていたので今年の音楽事情はすべてSpotifyが把握してくれている。
なんだかんだめちゃくちゃ音楽を聴いていて、Spotifyによると今年の私は冒険型だったらしい。色んなジャンルを掘っていたんだと。

タイトルにもあるようにSpotifyによると今年は「タマネギのようにたくさん層を重ねた1年」だったらしい。
まあ、冒険型なのであればそう分析されるのも腑に落ちるところではある。
ただ、タマネギってなんやねん、とは思うが。

表現に富んでいるというか、大分馴れ馴れしさを感じる。が、悪い気はしない。Spotifyには日頃大変お世話になっているし、私の性癖と同等だと言えるほどの(音楽が私のアイデンティティーなので)自分だけのラインナップがずらっと並んでいる。

そうだね、層だね、そうそう、層層、私の一年はたいそうタマネギみたいだったよ。
「初めまして」しかない出会いや出来事が多く、その都度初めてのソレが新しい発見や知見として社会人なりたての自分の体に重ねられていく感覚がして、ソレが体の一部になって行くような感覚がして、それはそれはしっかりと社会人として鍛え上げられました。

その度に、学生だった自分の価値観にはない何かを享受できて、その何かを自分に馴染ませて社会人に順調になっていっています。まるでタマネギ。

そうね、刺激的でちょっと辛い、涙が出てきそうなくらいには厚い層の大きなタマネギになれたような気がする。

ただ、社会人の自分って結果論的に見てこれでいいのかな、と疑問に思うこともある。

学生の頃の自分と社会人の自分をどうしても重ねてしまう。
学生の頃の自分は何者にでもなれた。
層を重ねるタマネギではなく、まるでジャガイモみたいに一つの束に何個も実が成って、しかもそれがかかってこいやみたいなクソ根性のような精神で無防備で強かった。
主体としての自分は学生を全うしていたが、バンドマンの自分とか、喫茶店スタッフの自分とか、ホテルマンの自分とか、アパレルスタッフの自分とか、塾講師の自分とか、自分の体からさっきまでの役柄を抜いて新しい役を演じるカメレオンのような生活を送っていた。
一つ一つの環境の性質がそれぞれしっかり異なっていて、心地よさも感じたし馴染みにくさも感じた。ただ、いろんな自分を演じることできていろんな自分を成長させることができた。いろんな自分と言っても本質的には一つの個体としての自分であるので、結果として自分自身の成長に繋がったし、感性とかなんかそういうセンシティブな何かを育てる事ができていたと思う。
一方で、社会人の自分。仕事かプライベートかの二面しか今のところは持ち合わせていない。楽といえば楽である。それぞれの環境でそれぞれの役を演じなくても良いし、社会人として従事している仕事には出勤退勤の時間が決まっていて固定の給料があって週休2日とかいう固定の休みがある。やはり社会人の方が楽なのかもしれない。二つの顔しか持ち合わせていないおかげで、仕事面の自分だけを成長させればなんとか社会でやっていけるという現実を学んだ。だから私はタマネギのように社会の中で生き抜くためのアレコレを学んで体に何層もその「学び」を重ねている。層を重ねるたびに個性が奥に奥にしまわれていくのを感じている。そして、それで今は満足している自分もいる。

やっぱり涙が出てきそうである。
このタマネギは刺激が強すぎるみたい。
ただ、そのおかげで私は社会人になれている。

Spotifyの分析はあながち間違っていない。
今年の私の音楽傾向とともに私自身の分析もしてきやがった。
流石Spotify、ずっと使ってやるよ〜
来年もよろしくな〜〜〜

来年は転職して〜〜〜


2022/12/2/0:38

誤字許して


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