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マザコンと精神的自立、または恋愛への影響

 おつきあいをしたことがある女性に「お前はマザコンである」と言われたほうだ。異口同音であるところをかんがみて、僕はどうやらマザコン野郎である、という結論に落ち着いている。ところでこの件について、ちまたの意見をくんでいくと、煎じ詰めれば男はみんなマザコン、というむきがあるのであまり気にしないでもいい、という感想もセットで持っている。

 妻のスマートフォンのスピーカー機能を利用して、妻の友人と三人で話していた。ビールを飲みながらおしゃべりをするのであるが、これがなかなか楽しかった。
 こういうあんまり親しくなかったような相手とも、お酒を飲みながらお話を楽しむことが出来て、言っちゃなんだけど、こりゃいい時代だと思った。
彼女は、妻の予備校時代からの友人だ。
 なかなか身持ちのかたいお嬢さんで、今おつきあいしている男性が初めての交際相手であるという。仮にMちゃんとしよう。彼女とお酒を飲みながらする話の内容は、Mちゃんが初めておつきあいしても良い、と男性に感じた経緯の詳細や、付き合ってみて感じた率直な感想など。僕はそういった恋愛の話を聞ける貴重な機会を得ることが出来て、幸運だと思った。
 素直に話してくれるMちゃんを心の底から応援する、とそういう心境にまで至ったのである。

 そんなMちゃんの話の中で、彼に対して怒った時の「別にお母さんをしたいわけじゃないし」という意見を聞いて、マザコンの僕は耳が痛かった。

 Mちゃんの彼は若くて、彼女の四つ年下の二十四歳だという。二十四なんて「自分がマザコンかどうか、意識すらしていないような存在」だ。つまり「マザコンだ」と指摘されても、おもわずムッとした表情で「は!そんなことねえし」と言い返してしまうような、そんなたよりなげな存在である。それに向かって「お母さんをしたいわけじゃない」という意見は、あまり通じないのだろうな、と想像していた。
 あったこともない彼のことを想像して、の話ではあるが。

 そんなことを考えていたら、妻から「○○さん(本名)はどうですか、母親からの自立のタイミングってありましたか」と水を向けられた。

 母親からの精神的な自立のエピソードははっきりとある、と答えた。Mちゃんも聞いているので、彼女のボーイフレンドに共通するような一般的な出来事ではないかもしれないが、と前置きをして僕は簡単に説明した。

 僕はある時、ある事に気が付いた。確認のために、お母さんに質問した。その時の会話がきっかけで、母親から精神的自立をした、と。
「もしかしてお母さんさ、オレの事、男性としてはあんまりタイプじゃなくない?」
「いやよお母さん、あんたみたいなしつこい人。」
と言う会話だ。もちろん親特有の愛情を感じている前提である。

 とは言え「親だって人のえり好みをする」「そういった感覚は人として当たり前の感情」「そりゃそうか」と一気に腑に落ちた。それ以来、母親に対しても、他人への気遣いを一人前、分配しなければいけないのである、と得心した。その感覚が腹に落ちて、母親からの精神的自立が分かるようになった、とそういう話だ。

 妻は「その感覚、やっぱ大事だよね」と言った。僕は生まれて初めてパートナーから「精神的な自立を果たした方のマザコン」という称号を得られた気がして、それがひそかに嬉しかったが顔に出さなかった。

 とりあえずMちゃんが分かりやすいようにまとめようと思ったが、どう言えばいいかわかない。

 「母親をやりたいわけじゃないというのは、男性にとってなかなか理解しづらい、想像もつかないような事である場合もあるよ。少なくとも、僕はそういう事はなかなか理解できなかった。」と言った。

 Mちゃんにとっては、だから何だというのだ、という事に尽きるとは思う。ただ、無条件で好いてくれる母親という幻想を抱いている男性を、理解すらできずに悩む女性が少し減ればいいと思って言ってみたが、果たして彼女の足元を照らしてくれるだろうか。

 Mちゃんに話をするときは「ある時」とにごしたが、母が付き合っていた男性と別れて、別の人と再婚することになった時のことだ。母は見たことないような軽やかなオーラをまとっていた。その時、はっきりと「男が変われば、本当に全然違うんだ」と気が付いた。と同時に、息子である僕が「あんまりタイプではない男性だったのだ」と直感して分かった。

 もしくは、「息子は彼氏にはなれない」とも言える。Mちゃんに向けてあえて言う必要もなく、伏せた部分である。

 マザコンであることと、母親から精神的自立をすることは、全然別のことだ。あれ以来、我が世の春を謳歌している母は、明るく、なかなか良いものだ。

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