見出し画像

セミナーっぽいやつにいってきたけれども、<●><●>ロンッ とはなってないと思う(多分)

こないだ、下記のnoteを書いたじゃないですか。

もともとその人の集まりに誘われての縁だったので、約束通り、行ってきたんですよ。その人の主催する塾に。
セミナーっぽいものに行くのはね、生まれて初めて。わりとそういう「集団」に属することを敬遠してますしね。
これも経験ですからね。もしかしたら偏見かもしれないし、変に意固地にならんでもいいかと。

私ねえ、口頭だと全然うまく表現ができなくておちゃらけた感じになっちゃうんですよね。多分頭の回転が遅めなんだと思う。
なので、noteでまとめておきましょうね。文章のほうがまとまるんですよ。

内容はね、私の判断でガッツリ公開するのはよくないので、「私がよくnoteとかblogに書いてることとだいたい同じような方向性のことをより深刻に捉えた感じ」と表現しておきますね。

結論から言いますとね、経験として非常によかったですよ。
問題は表現手法かな。

まず、集まりそのものに対しては、私は「決してなにか悪さをしようとか、誰かを洗脳しようとか、世界征服だーとかというものではなく、よい方向性のものである」と感じました。
あんまりこういう「個々の考え」の部分って、顔と顔つき合わせてすり合わせる機会がないので、ある種の腕試しみたいな部分もあってすごくおもしろかったです。
変な人とかいなかったですよ、別に。

ただ、「その考えを表出化するための表現手法」については、もしかしたら再考の余地ありなのかな。という、私は個人的にそういうスタンスですね。

動画をね、お見せいただいたんですけど。
その動画が比較的、扇動的と言うか、強い(やや大げさ気味に捉えられるであろうラインを狙った)言葉を使うたぐいのものだったわけですね。

私の立ち位置として、「扇動的であるべきではない」っていうのがすごくあるんですよ。
扇動的なアクションをすることによって拾えるのって、「何も考えてない人」なんですよね。
で、「何も考えてない人」が、「なんか強そうな人」になんとなくほへ〜ってついてきてるだけだと、意味ないのですよ。それはこれまでの繰り返しに過ぎないから。
だから、「扇動的な表現というのは、独裁には有効だが、人と人が共生していく上ではメリットがない」と、私は考えるんですね。

ただ、前述のように、私、この主催の方の考え方自体には共感するんですよ。
だから、この志を持って集まることそのものを「怪しい」って全否定するつもりはないですね。
一月200円だったら、行きつけの病院のADHDグループミーティングと同じだからね。

それに、私シェアアトリエやってるじゃないですか。「やってるじゃないですか」ってなんか皆様御存知の!ってノリで言ってしまいましたけど、やってるんですよ。熊本でひっそりと。
で、その運営の中でね、これまでずーっとひとりぼっちで創作やってた人が、友達が出来たって喜んでくれるんですよ。
そこをとおして、「何かを錨としたゆるいつながりって、すごくいいものなんだな」って、なんかねえ、思ったんです。

私、自分のやってること(シェアアトリエ)がなんかのカルト宗教っぽくなっちゃわないかっていうのがすごく不安でね、なんていうか、「ここにしか居場所がない人」をせっせとこしらえるみたいなこと、絶対やりたくないのですね。
でもフタ開けてみたら、最初こそ私がきっかけだったかもしれないけれども、いつのまにか私よりここで出会った利用者さん同士のほうが仲良くなってたりして、自分の意思で、自分の足で立ってくれた〜っていうの見て、「あっ、なんかいいな」って思ったのですよ。

だからこそ、「考える余地を与えない、扇動していくタイプの表現手法」については、ひきつづきNOを唱えたいかなっていう、私としてはそういう立ち位置ですかね。

そこだけは私の信念上どうしても気にはなったけれども、全体的には、わりと行って損はなかったですね。シンプルに楽しかったですよ。

あ、そうそう、誘わないから安心してね。
でもシェアアトリエには来てほしいけどね。

また。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
くさもときのこ(キノコファクトリー)

くれるものはなんでももらうわたくしでございます。

いえいいえいいえ〜い
くさもときのこです。キノコファクトリーという名義で絵を描いたり歌を歌ったりします。シェアアトリエ&ギャラリーはじめてしまいましたねえ https://kinocofactory.work/workshop.html