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古建築さんぽvol.8 比叡山延暦寺

先日、滋賀県坂本地区の山林管理をされている坂東林業さんをお訪ねしようとご連絡をしたところ、「折角の機会なので」と延暦寺をご案内頂くことに。幸運なことに、初めての延暦寺をご案内付で拝観させて頂きました。

Google mapで見る比叡山

さて、タイトルの写真は航空写真で見た比叡山延暦寺周辺です。御覧の通り琵琶湖の西側・京都との県境に位置しており、周りは見渡す限り山。延暦寺が所有する山林の多くは人工林で、その7割を桧が占めるそうです。
つまり、延暦寺は昔から山林を経営し、山の木を売ることで自らの財源を確保してきたという事。ドライブウェイを上る道すがら何が植わっているか見ましたが、確かにほとんどが桧。
所々に巨大なモミの木が散見されましたのでお訊ねした所、モミは山の目印のために植えられているそうです。
とはいえ、京都側の一部の山には大変貴重なブナの原生林も残されており、研究者の方が調査に入られているとのことでした。
それにしても、延暦寺をとりまく坂本地区の「坂本森林組合」イコール「延暦寺」である、ということをお聞きし、とっても驚いた次第です。

延暦寺は修行寺

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延暦寺は最澄が開いた古刹であり、天台宗の本山。このお寺から多くの高僧が輩出されました。最澄の教えは「悉有仏性」。誰しもが仏になれる、というこの教えは、当時としては画期的なものだったでしょう。

とはいえ、延暦寺内の僧侶は厳しい修行を行っておられます。
「四種三昧」といって四つの行があるそうですが、そのうちの2つ「常坐三昧(90日間座禅し続ける)」「法華三昧(90日間読経し続ける)」をおこなうのが、写真の「にない堂」。造りの全く同じ二つのお堂(常行堂と法華堂)が、渡り廊下で繋がれた恰好をしています。
見学をさせて頂いた日に、修行を終えて今朝お堂を出てこられた、という若い僧侶がいらっしゃいました。体力的には限界だろうと思うのですが、とても清々しい笑顔をされていたのが印象的でした。

境内最古の建築「釈迦堂」は、他寺より移築

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こちらは延暦寺で最も古い建築である釈迦堂
皆様ご存じの通り、延暦寺は織田信長による焼き討ちに遭っているため、現在みられる建築はほぼ焼き討ち後の再建です。こちらの釈迦堂は鎌倉時代の建築ですが、なんと豊臣秀吉が三井寺から取り上げて、延暦寺に移築したものだそうです。中々面白い歴史ですね。
2020年11月30日まで、釈迦堂の内陣を特別公開中です。内陣の中にずらりと並ぶお仏像は壮観です。特に、四天王像のうち「持国天像」はかなりイケメンですよ!

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さて、釈迦堂の前から延暦寺内のパトロールカーに乗せて頂き、ほぼ林道を使って移動を致しました。

焼き討ちを唯一逃れたお堂、瑠璃堂

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瑠璃堂も特別ご開帳中でした。こちらは、信長の焼き討ちを逃れたといわれる唯一のお堂で、室町時代の作とされています。
釈迦堂の方が古さは勝りますが、もともと延暦寺にあった建築としてはこちらが最古。
瑠璃堂のご本尊は、薬師如来。現在お堂の中の薬師如来像は、全身を金箔に覆われていますが、室町期に作られた際には金箔の姿ではなかったのでは、と言われています。一木彫りではないので、木材を接合した部分に割れ等が生じておりこれから修復に出されるそうですので、修復の過程で新しい発見があるかもしれませんね。

このお堂だけ禅宗様。ご本尊上の格天井には草花模様が描かれ、柱などにも彩色の痕跡が残り、色鮮やかなお堂であったことが見て取れます。

10年をかけて修復中!総本堂「根本中堂」

さて、最後に現在修復工事中の根本中堂を見せて頂きました。
根本中堂は、お堂の前にぐるりと廻廊がまわり、中庭のある作りになっています。年度ごとに予算を組んでおられる関係で、毎年工事契約を更新しているそうですが、今年は新型コロナの影響を受け、工事契約が結べなかったとのこと。残念ながら工事は現在はストップした状態です。
根本中堂の改修工事については、こちらのリンクをご参考ください。

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こちらが廻廊の屋根。木下地だけになった状態です。
根本中堂の本堂の屋根は銅板瓦棒葺ですが、廻廊の屋根は栩葺(とちぶき)といって、分厚い板を用いた杮葺(こけらぶき)です。板はすべて「椹(さわら)」という木が用いられていたそうです。
「椹」は木曽五木のうちの一つ。この廻廊の屋根をすべて葺くだけの椹は、入手が困難であり、杉を使うという選択肢も一時浮上したそうですが、今回は何とか木曽の天然林から椹を集めることが出来たそうです。
大変な苦労の末に、今回は全量椹での葺き直しを実施するとのことでしたが、次の修復ではもう材料の確保は難しいだろう、という事でした。

本堂の屋根も、銅板で葺かれる前は同様に栩葺だったのかもしれませんね。

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そして、こちらは本堂の屋根。銅板をすべて一旦は取り外し、傷んだ木下地部分を修復した上で、銅板を葺きなおす作業ですが、とにかくものすごく大きな屋根です。クレーンなどの重機もない時代に、すごい建築を作ったものです。

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銅板葺きの屋根下地はこうなっているのですね~。

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こちらは本堂屋根の頂点、の部分です。

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棟の立ち上がり部分の木下地(右下に写っている材)に、沢山の印が入れてありました。ピンクや白で丸く囲った部分は昔の釘跡だそうです。釘跡の形状によって時代を判別し、色分けをしているそう。

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大屋根を支える組み物です。根本中堂は総欅(けやき)造。こんなに大きな欅の木も、現代では揃えることは難しいでしょう。すべて欅の木組みを見るのは、初めてです。

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蟇股という部材には、神獣や草花が彫刻されています。これは調査の結果から彫刻の彩色を復元した絵になります。修復が完成した暁には、創建当初の鮮やかな色に復元された中堂が見られることでしょう。

修復工事の期間中も、本堂内では絶えることなく日々のお勤めが続けられていますし、通常の参拝も出来るように様々な配慮がなされています。中々出来ることではありません。

修復開始から5年目。工事の見学会なども企画をされているようですので、是非とも、この貴重な期間中の参拝をお勧めしたいと思います!



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