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創作をやめるとき。

「皆があなたみたいに作り続けられると思わないで」

度々言われた言葉である。

私は美術科と音楽科しかない高校に行き3年間をそれはもう楽しくのびのびと過ごした。

絵が好きで、作ることが好きで、ご飯を食べたり眠ったり恋をするのと同じように創作することが当たり前だと思っていた。

中学校でいちばん絵のうまい子が、県内外を問わず受験し入学する学校では、たぶん大抵の生徒が1度は挫折する。「自分がいちばんなわけじゃない」「ここまで下手だったか…」「天才って、自分の事じゃなかったんだ」どこかでそんな風に思いながら、少しの傷を誤魔化しながら3年間を過ごす子は少なくなかったと思う。

要領がよく、それなりに絵もうまく、勉強もそこそこ出来て、恐ろしいほどのエゴを持ったポジティブモンスターであった私は、挫折をあっという間に蹴飛ばして過去のものに出来てしまった。

そうなるともう、学校生活は楽しいばかりで、私の見えてないところで傷ついている人がいることや、創作が苦痛になっている人がいることや、学校生活に膿んでいる人がいることなんて想像することも出来なかった。

2度、同窓会展示をした。1度目の同窓会展示の参加者は思ったより少なかったけれどそれでもクラスの半数程度いたと思う。更に打ち上げの同窓会で参加者は増えたので、「みんな次も参加してね!今回不参加の人もぜひね!」と言った。

煙たい顔をしていた人もいたのかもしれないけど、私は気がつかなかった。

2度目に同窓会展示をやろうと参加者を募ったとき、ものすごく人数が減った。

どうして?時間がないから?1年も前に言ったのに??毎日5分でもやったら出来るよ!

最近作ってないから?じゃあこの機会に始めたら良いじゃん!写真とか絵本でも素敵だよ!暮らしにアートを取り入れようよ!

ここで、冒頭のセリフである。

全く理解が出来なかった。どうして?今つくってなくても生活に取り入れたり役に立ったりしてるでしょ?それって素敵じゃん。それを発表するだけでも楽しいじゃん!そう思っていたけれど、最近になってそうじゃないんだと、ようやく理解できてきた。

好きだったものをずっと好きでいなくても良いこと。

創作するということをやめることが出来ると言うこと。

作ることが苦痛になることがあること。

申し訳なかった。それが全く理解が出来ていなかった私は、めっっちゃ押した。あまつさえ「裏切られた…」とか「おいてけぼりにされた…」とか思った。そりゃ嫌がられる。やんわりと怒られるわけだ。

「でも高校の3年間を毎日創作して過ごしてたのに学費もったいない!」と、少し前まで本気で思っていた。ぜんぜんもったいなくない。逆になんで高校の3年間で人生の指針や生活の方向性を作らないといけないのか。んなわけない。

むしろ高校の3年間で創作が嫌いになった!という人がいてもおかしくない。

大人になると楽しいことがものすごくたくさん増える。

新しい趣味、仕事、恋人、家族、酒、大人にはなんでもある。人生80年と言われている長さのなかで、ほんの何年かやっていたことを続けているほうがおかしい。

その考えに至った時に、目から鱗が落ちた。

そして、皆が今何をしているのか、ちゃんと話を聞けばよかったと思った。同級生たちが今何を楽しいと思ってるのか、今何に夢中なのか。いつか聞けたらいいなと思う。たぶん嫌われたけど。

このご時世だ。まあそうでなくても、気が向かなくなって、いつか私も創作することをやめるときが来るかもしれない。そのとき、なにに夢中になるのかなと考えるとわくわくする。

わくわくできるようになってよかったな、と思う。


写真は少し前に食べた盛りそば小天重セット(だったかな)。天重大好きなんだけど、いつも食べ終わってから後悔する。そんなもんかもな。





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