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『棚田物語』帰省して棚田を遊ぶ金土日

 四国山地の入り口、漱石や子規も来て俳句作った二つの滝の麓の実家で、肥料も農薬を使わない自然農法稲作を始めて、二十年。思えば、いろいろありました。
 もちろん、仲間と一緒に始めた。実家は兼業農家であっても、ほぼほぼ親父の稲作を手伝ったことはないし、親父も無理に手伝わせなかった。私が米作るとなっても、自分の田を私に貸すこともなかったから、一人でなんかとてもできる技術はない。
 先ずは、実家近くの棚田を借りて、中古の草刈り機と耕耘機をネットで取り寄せ、籾撒きから。これがうまくいかない。今でも私たちの苗作りはうまくない。下手だ。ひょろひょろ苗で、ちんちくりんで、二十年。それでも実ってくれているのだから、自家採種した籾で育てた自然農法の苗は、ありがたい。
 始めて五年ほど経った頃、喜寿過ぎたおじさんが仲間に加わった。自然農法のお米作りにほれ込んで、私たちがしている谷の田の半分を買い取って、倉庫を建て、ハウスを作り、機械をそろえて、道を整備された。その人の伝手でいろんな人も谷にやって来た。地域にも見捨てられたような我が谷は一気ににぎわいだした。私たちは喜んだ。心強い仲間が増えただけではなくて、田んぼも増えて、滝川から共同で引いてきている水路の周りの草刈りや猪対策の鉄柵などの設置にも、人出が増えて心強い。
 棚田稲作の最大のポイントは、畦草刈りとコナギとヒエの除草対策。結構これが大変だが、草刈りは、ハマったら異次元に連れて行ってくれる。恍惚としてやめられなくなる。コナギ抑えは、手作りしたチェーン除草機を田植え後五日以内には引っ張って、昔ながらのコロガシを十日以内に押しておけば、一応の対策には、なる。これも、ハマる。水面に浮いてきたコナギの稚苗たちを見てほくそ笑む。それでも、株間に生えてきたコナギには、八反づりだ。左右五列の株間の隙にスナップを効かせて押し出して、田中(でんちゅう)に埋めた倒すことを繰り返す。その作業もハマったら、忘我。
 今は、棚田二十四枚合わせて九反。一枚が狭いので、達成感もままあって、次への意欲も萎えずに続く。
 無論、周りには放置されて樹木までも生い茂っている田も、何枚もある。猪や鹿や猿や穴熊や狸も遊び放題。雉も横切る。アカショウビンの声も聞こえる。蛙も蛍もイモリも、赤、塩辛、鬼等々の何種類ものトンボも、居る。私も棚田で、遊んでる。

“#未来のためにできること”

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