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施しを受け愛を与えられる強さ

 夫は愛を知っている。愛された記憶の中生きてると感じる。

 私は愛が足らなかった。愛を奪われている場所にいた。だから与えられても上手く受け入れる力が無かったり全部一人じめしたり。

 ただし、振り返ると愛は確かに与えられていた。

 母は全てにおいて手作りできるものは作ってくれた。

 服、小物雑貨に刺繍をあしらったもの、お菓子、ケーキ、料理。DIY。母は器用な人でチャレンジすることが大好きだから労力をいとわなかった。

 今になってみて思う。母の愛のすごさを。

 でも子どもの頃の私は買った駄菓子やケーキ、服がなかなか与えられないことが不満だった。

 今思う。祖父の土道楽の恩恵を。桃やトマト、きゅうり等の夏の果物や野菜にかぶりつくと祖父を思う素晴らしさを。

 祖父は一切の物は与えてくれない人と思っていた。

デパートでは自分のジャンパーやカメラしか買わない人だったし、野菜の収穫にかりだされるのは、皆が苦痛に感じていた。

 ところが、あの頃振り返ると見事な野菜や果物は食べ放題だった。人間関係は難しいが、野菜たちならば思い通り。そう私は捉えていたのが大きな間違いと知ったのは、「蜜蜂と遠雷」の一説を読んで初めて気づかされた。

 コントロール不能の自然界において根気良く研究と実戦を繰り返し、記録つけて見事に実らせていた。

 祖父には丁寧に説明する気が無かった。何か聞いても「知らない。」か、「へぇ帰れ!」だった。

 良く記憶してるのは、「葉っぱってなんで緑なの?」って聞いたらめちゃくちゃ怒って家に帰ってしまい、兄に「私なんか悪いこと聞いた?」って言ったら兄は困っていた。

 一方覚えているのは二人でデパートに行って自分のコーナーしか行かなくてひたすら待たされ地獄のような心地になって自分の洋服コーナー行きたいと言ってもそこはいいとか言われてスルーされ、絞り出した言葉「お腹すいた」と訴えると、「お腹すいたか。」と、言って地下に行き大きなチョコレートを買ってくれた。

 電車でかぶりついていたら半分のところでスッと手を出して「半分はお兄ちゃんの分だぞ。」と言った。

 兄の存在なぞすっかり飛んでいたがその時の感動は多分生涯忘れないだろう。

 話しは逸れるがバレンタインデーの日に、「お兄さんにチョコレート忘れないで。」って言ってくれた友がいた。

 覚えてる、忘れない。このことは大切なんだって思う。

 私は長いこと夫からの愛をむさぼり、餓えた心を癒してると、感じていたが、実のところ気づいていないだけだったことに今更気づいた。

 生きてるうちに気づけて本当に良かった!

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