ショートストーリー:にぃちゃん
クラスに1人、誰とも話さない女の子がいるの。
グループワークみたいなので一緒のグループに入ることがあっても、話す言葉は「フツー」「知らない」「興味ない」くらい。だからクラスの男子からは「あいつ日本語話せねぇんじゃねぇの」とか言われているの。なんか、かわいそう。
その子は窓際の前から3番目の席で、あたしはその後ろの席なのだけれど、その子はいつも窓の外をぼーっと眺めているみたい。
6月も終わろうとする頃、2年B組に季節外れの転校生がやってきた。
「桜田新香と言います。前の中学校では『にぃちゃん』って呼ばれてました。よろしくお願いします。」
ぺこり、と深々あたまを下げると、ストレートロングが床につきそうだった。
あ、あたしは真田美加。みかりん、って呼ばれてるよ。
で、ひとりぼっちのその子は飯田さおり、って言うの。かわいい名前でしょ?
名前だけじゃなく、見た目もすっごくかわいい子なんだよ。肩までのショートヘアはつやつやだし、目はまつ毛が長くて鼻だちもすっと通ってて、横にまっすぐ結んだ薄い唇をしてるの。中2女子にしては背も高くて、まるでモデルさんみたい。
「じゃ、美加さん。転校生にいろいろ教えてあげてね。」
「…へ?あたし、ですか?」
考え事をしていて、間の抜けた返事をしちゃった…。
「美加さんね。よろしくね。」
にこ、と微笑まれる。髪がさらりと揺れる。
やばい。この子かわいいよ。
「よ、よろしく、ですっ」
思わず緊張しちゃう。いやいや。あたしは先輩…じゃあないけど、この学校に1年以上いる生徒として、ちゃんとしなきゃ。…でも、何を紹介したらいいんだろ?
あたふたしていると、前の席でぼーっとしてるさおりちゃんが視界に入った。「あ、あの!さおりちゃん!学校の何を紹介すればいいのかな?」と思わず聞いてしまった。しまった、よりによって彼女に聞くなんて…わらをもつかむ、とはこの事だ。
すると、意外なことが起こった。
さおりちゃんがすっと席を立つと、「こっち」と歩いて先導し始めたのだ。若干あたまが混乱していたあたしは、「じゃ、じゃあ、ついていこう!」と言った。
「ここが玄関。こっちが1〜3年生のクラスで、あっちが理科室とか音楽室とかある方。職員室はここを上がって2階。」
「ここが給食室。当番になったらここから給食を運ぶの。」
「保健室はここ。たまに不良がサボりに来てるから気をつけて。」
「ここが体育館。裏はテニス部のコートがある。」
てきぱき、と的確な説明をしていくさおりちゃんに、「すごい…」とあたしは目を丸くした。なんか、「仕事ができる女」みたいだ。もちろん、働いたことはないからイメージだけど。
「何か質問ある?」
「ううん、よくわかったわ。さおりさん、ありがとう。」
「あ!あたしも、ありがとうさおりちゃん!」
たぶんあたし、赤面してたと思う。いろいろ情けなくて、顔が火照って熱かったもん。
「どういたしまして。」
そう言うとさおりちゃんは1人で教室へと戻っていってしまった。
「美加さん、私たちも教室に戻ろうか?」
はっ。
「そ、そうだねっ!うん、戻ろう戻ろう!」
マンガだったら汗がナナメに飛び散ってたと思う。あー、なんかあたし、さんざんー。ぐすん。
そのことがきっかけで、にぃちゃんとさおりちゃん、あたしの3人はなんとなくつるむようになった。
さおちゃんがあんなにしゃべったのを聞いたのは、学校中でたぶんあたしたちだけだ。そんな秘密を共有している感もあったのかもしれない。
でも、好きなアニメとかアイドルとかファッションの話をしても、さおちゃんの返事は「フツー」「知らない」「興味ない」の3つで足りるようだった。はたから見たら、どうしてあたしたちが一緒にいるのか周りは理解に苦しめると思う。
にぃちゃんって子は不思議な人で、いつもにこにこと安定しているの。別に面白い話をするわけでも、とくべつ何かが得意ってわけでもなさそうなんだけど、一緒にいるとなんだか安心するというか…もっといっしょにいたいな、と思わせる何かを持っている感じなの。にぃちゃんから、目に見えない何かが出てるんじゃないだろうか。遠赤外線とか、マイナスイオンとか…。
にぃちゃんは聞き上手だった。あたしが好きなアニメや漫画家の話をすると、いつもの笑顔がさらに笑顔になって、よろこんで聞いてくれるの。それが嬉しくって、ついついしゃべりすぎちゃうんだ。にぃちゃんはアニメとかが特別好きとか、そういう感じじゃなさそうなんだけれど、ともかく嬉しそうに聞いてくれるの。ああいうの、うれしい。
さおちゃんは、というと、そんなあたしの話を半目というか、何とも形容し難い目でこっちを見てるのね。…でも、こっちを見てくれてること自体、彼女にとってはすごいことなんじゃないかな、って思うんだよね。だって、今までほとんど誰とも話さず、窓の外ばっかり見てた子なんだよ?もしも心の底から「興味ない」としたら、興味のない話をしているあたしを見てくれてること自体が大変なことじゃない?
そんなわけで、しゃべるあたし、聞くにぃちゃん、見るさおちゃん、みたいな不思議グループがクラスに誕生したのです。
にぃちゃんは、クラスの多くに人気があった。といっても、アイドル的存在とか、リーダーシップがあるとかじゃなく、なんとなく、みんなにぃちゃんの近くに来ると安心する、みたいな感じかな。クラスにちょっとつっぱってる女の子がいるんだけど、彼女なんか
「アタシにいか大好きー!」とか言ってにぃちゃんをぎゅっと正面ハグとかするんだよ。にぃちゃんはと言うと、にこにこしながら抱きしめられてるし、なんだか楽しそうなの。そんで、その子は笑顔になって離れてくの。
なんか、不思議な子だなぁ。
ある日、あたしは風邪をひいて学校を休んだ。
次の日、教室に行ったら友達が教えてくれたんだけど、そのことにびっくり。
「ねえねえみかりん、昨日あんたがいない時にさ、にいかとさおりんが話してたんだよ!」
まるで芸能人の恋バナでもするかのようなテンションで話しかけてきたものだから、最初何の話かわからなかったの。
一呼吸おいて、
「ええええええええーーーーーっっっっっっ?!?」
あたしは絶叫してしまった。
さおちゃんが?
話してた?!?
だって、そんなこと今まで一度もなかったんだもの。
まるで、動かないと思っていた動物のはく製が、ある日突然動き出した、みたいな感じ?いや、それはさすがに言い過ぎかも。
「それでそれで?何を話してたの?ってかどっちが話してたの?」
「それが、どっちも。話の中身まではわかんない。だってほら、さおりんってなんか近寄りにくいんだもん。」
そのわりにはアナタ「さおりん」とか呼んじゃってるよ?まあいいや。
ともかく本人たちに事情聴取しなきゃ。
「別に。」
さおちゃんはそっけない。いつも通りだ。
「でもでもでもでも、気になるよ!さおちゃんってばいつも何にも言わないじゃないの。」
「…言ってる…」
聞こえるか聞えないか、という声でボソッとつぶやいたのはかろうじて聞えたけど…どういうこと?言ってないし!
「あー昨日ね。さおちゃんよく喋ってたー。あはは。」
にぃちゃんはいつも通りだ。けど。
「どんなことしゃべってたの?」
「んー?いつもと変わったところはなかったかなあ。」
「いやいやいや、しゃべってる時点でものすごく変わってるでしょ?!」
「えー、さおちゃんいつもよくしゃべるよー。」
頭がこんがらがってきた。なに?どゆこと??
「ひょっとして、あたしがいないとこでは2人でいつもしゃべってるの?」
もしかしてあたし、自分が気づかないだけで、ふたりのお邪魔なのかな。そんな思いが頭をかすめると、みぞおちの辺りがぎゅっと哀しくなった。
「えー、ちがうよ。いつも3人でいる時に。」
「…? ? ???」
その日1日、授業は頭に入ってこなかった。
放課後、いつものようにさおちゃんの机の周りに3人で集まる。
この日あたしは、いつもより少しだけ、話すことよりも聞くことと見ること、観察することに意識を注いでみることにした。
いろいろ考えてみて、どうも【あたしが何か見落としてる】みたいだ、と思ったからだ。
にぃちゃんが昨日起きた家族の珍事を笑いながら話している。ほのぼのした家庭だとつくづく思う。
ちら、とさおちゃんを見ると、控えめにはしているけれど、すごく面白がって聞いてるのに気がついた。まるで目から笑い、喜び、ワクワクといったキラキラしたものがあふれてこぼれてるみたい。
ふと、さおちゃんが首をかしげた。そして右手の人差し指を上から横にまあるく弧を描いた。(なんだこりゃ?)あたしはその不思議なジェスチャーの意味がわからなかった。
「ああ、そうそう。それでお母さんたらね、結局もう一度お買い物に行ったのよ。お財布忘れるなんてねぇ。リアルサザエさんでしょ、もう。おかしくって。」
コロコロと笑い転げるにぃちゃん。さおちゃんも、声こそ出していなかったが、体がプルプルふるえて目は若干涙目になってる。おかしくてしかたない、といった感じ?
「それでね、妹と弟がケンカしちゃったの。弟が妹を泣かしちゃってね、それで買い物から帰ってきたお母さんもカリカリしてて、弟をゴツンとやっちゃったのね。弟が泣き始めるとおばあちゃんがお母さんと言い合いを初めてね、おじいちゃんも巻き込んで家族で大変なことになっちゃって。
で、お父さんが帰って来て原因を尋ねたら『そうめんの緑色のとピンクのやつ、あれをどっちが食べるかでケンカになった』んだって。お父さんが一言『まじ、どーでもいい…』ってドッと疲れた顔してたわ。ほんとくだらなくて…私そのあと1人で大笑いしてたの。」
さおちゃんの手が太ももをぺちぺちと打っている。どうやら耐えられないらしい。肩がふるえている。なんか苦しそうだ。
(なんだ、さおちゃんこんなにいっぱい表現してたんだ…今まで全然気づいてなかった。)
(あたしは自分がしゃべることで夢中になりすぎてたのかな…)
(にぃちゃんには、ちゃんと聞こえてたんだ。さおちゃんのいろんな声が。)
(さおちゃん、大声で笑えたらいいのにな。)
考え事をしてたら、さおちゃんがまたあの、右手の人差し指を上から横にまあるく弧を描いた。あたしをのぞきこんで、首を傾げてる。
「…あっ!それ、クエスチョンマークなの?」
こくこくこく、と首を縦にふるさおちゃん。…で、どういう意味なんだろう?すると、にぃちゃんがこう教えてくれた。
「さおちゃん、今日はみかりんがなんだか静かだから、どうしたの?って聞いてるんだよ。」
さおちゃんがこくこくこく、とうなずいている。合ってるらしい。
あたしは目が点になった。
「にぃちゃん、ど、どーしてそんなことわかるの???」
「えー?どーぉして…だろうねぇ?ふふっ。」
相変わらずのにぃちゃんスマイルだ。この笑顔で返されると、別に理由なんてどうでもいいか、と思えてしまう。
さおちゃんが、あたしの服のすそをちょいちょいと引っ張ってくる。
「こ、今度はなに??」
「んー、さおちゃん、みかりんのお話も聞きたい、って言ってるんじゃないかなあ。」
「そ、そうなの?」
こくこくこく。うなづきは3回らしい。
あたしは顔を真っ赤にしながら、しばらく言おうかどうか迷ったけれど
言うことにした。
二人を信じて。
すぅっと息を吸い込むと、意を決して話し始めた。
「あ、あの!」
「?」という顔をする二人。
「あたし、さおちゃんに謝らなきゃならないことがあるの。聞いて…ください…。」
「あたしね、さおちゃんはとってもかわいい子なのに、どうしていつもしゃべらないんだろうって思ってたの。だって、しゃべらないっていうだけで男子にも嫌な陰口ささやかれてたりするし、それってひどいと思ってた。
でもね、あたし、今日やっと気づけたの。さおちゃん、しゃべってないんじゃない。あたしが聞けてなかっただけなんだ、って。さおちゃん本当はたくさんたくさん、声に出さないだけでしゃべってたんだって。
にぃちゃん、にぃちゃんはさおちゃんの声がずっと聞こえてたんだよね。すごいな、尊敬する。あたしは…あたしは、男子と一緒だった。さおちゃんが、いつも黙ったきりの不思議な人だって思ってた。
でも、違った。さおちゃん、たくさんたくさん言いたいことあって、それを【聞いてくれる人】が必要だったんだよね。ただ、それだけだったんだよね。
あたし、さおちゃんに失礼だった。さおちゃん、ごめんなさい…!本当に、ほんとうに、ごめんね!あたし、陰口言ってる男子たちと何も変わらない、サイテーな奴だった。ゆるして…。」
ぽろ、ぽろ、と大粒の涙がこぼれて止まらなかった。自分が恥ずかしくて、にぃちゃんがまぶしくて、さおちゃんに申し訳なくて、頭と心の中がぐちゃぐちゃだった。
と、あたしの頭にぽん、と手が置かれた。
「?」
あたしが泣くのをやめて顔を上げると
さおちゃんが、笑ってた。
歯と歯茎が見えるくらい、ニッと笑ってあたしを見てた。
そして、あたしを正面からガシッとハグしてきた。
「…?!?!?」
なに。これはなんなの。
「みかりん、」
芯があって、迷いがない、気持ち高めのトーンの声が、あたしの名を呼んだ。
「ありがとう。」
ぶわわっ。
わわっ。なにこれもうだめ。涙がとまんないよ。
「きゃー、友情ってステキねー。」
ぱちぱちぱち、とにぃちゃんがのんきに拍手なんかしてる。いやちょとまて、あたし今、涙と鼻水と恥ずかしさでエマージェンシーMAXだってば。
教室には少し人がいたけど、気を利かせたのか、いつの間にかいなくなってくれていた。ほっ。
帰り道。
少し遅くなってしまったので、日が傾きかけている。
初夏の夜風が半袖のセーラー服を心地よく吹き抜けて行く。
足取りが、軽い。
軽いというか、なんだかふわふわしているみたい。
あたしの足、ちゃんと地面についてる?
「さおちゃん…。」
名前を呼んでみる。胸のあたりにくすぐったいような、甘いような、不思議なあったかさが広がる。
「にぃちゃん…。」
あたたかくてやわらかな、やさしい安心感がじんわりと心にしみる。
なんて、素敵な友達だろう。
あたし、なんてしあわせものだろう。
あたし、二人に比べたらまだまだ未熟だけれど
もっともっと、二人のこと、わかれるようになりたい。
にぃちゃんができるみたいに、さおちゃんの言葉を汲み取りたい。
にぃちゃんみたいに、心の広くてあったかい人になりたい。
さおちゃんみたいに、まっすぐで芯のある人になりたい。
二人みたいに、もっと素敵な人になりたい!
なれるかな?
なれないかも、しれないな。
でも、二人と一緒にいたら、だんだんなっていけるような気がするんだ。
こんなこと、誰に感謝したらいいのかな?
「かみさま、素敵な友達をくれて、ありがとう。」
かみさまならきっと、あたしの小さな声も聞いてくれてるよね。
きっと。
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