2章 ー 初教会 ー

 美沙はリビングにある父のパソコンを開いて、

「……きょうかい、せんだいし、いずみく……っと。」

 たん、とエンターキーを押して検索をかけると、教会のホームページとおぼしき検索結果が並ぶ。町のマップに赤い点があちこちについた。
(……思ったよりもあちこちにあるんだなー……)
気になったものを次々に開いていく。

「仙台駅の方だともっとあるのかな?」
 そう思いマップをスクロールしていくと

「……うーわーーー……こんなに?」

 コンビニ並とはいかないが、それでもこんなにたくさんあるとは思わなかった。

(これは、どうやって選べばいいんだろうか……)やや途方にくれていると、

「おぅ、帰ったぞ!」
 父が帰宅した。

「おかえりなさい道房さんっ!」
 母の美智子がエプロン姿で抱きつきに行く。
「お父さん、お帰りなさいっ。」

 美沙も二人の間目がけて、スーツ姿の父にぱふんと抱きつく。小さい頃からの習慣で、中学生になった今も続いている。

 父は二人をぎゅーと抱きしめると、妻の美智子だけを抱きしめたまま持ち上げた。ここだけ美沙はいつも入れないが、見ているだけで胸の奥がくすぐったいような、しあわせな気持ちになれる。

「おう美沙、ただいま。今日から夏休みだって?」
 よしよし、と道房が頭を撫でると、ごろごろ、と喉をならしそうな表情で美沙が答える。

「うん、あのね、教会訪問、って課題が出たんだよ。」

「協会?……ああ、キリスト教会のことか。えーと、ミサに行くのか?美沙が、ミサに?」いたずらっぽく父が笑うと

「……お父さん、つまんない。」さくっと娘の評価が刺さる。

「いたたたた……あー、美智子。ビール頼む。」

「はいはいー。」
 笑いながら母がキッチンへ急ぐ。

「あ、ねえねえお父さん。」
  教会のこと、お父さんなら何か知ってるかも。そう思って一緒にダイニングに向かう。

「教会?うーん……友達の結婚式で何度か行った事あるくらいかなあ。」
 枝豆をほおばりながら道房が答える。

「そっか、そうだよねぇ……。」

「ネットで検索して、ピンとくる所にしたらいいんじゃないか?」

「ねえ、美沙が変な宗教団体に迷い込む、なんて事、ないでしょうねえ。」
 美智子がやや不安げに口を挟む。

「ん、そうだな……学校では何か注意はしていなかったか?」

「えっと、モルモン教とかエホバの証人、も……なんだっけ?」

「ものみの塔か?」

「あ、それそれ。それは、聖書じゃないものを信じてるから、行っちゃダメって。」

「ふーん……いい所に当たるといいな。」


*       *       *       *       *


「見つけた!」

 翌朝、千尋から電話で連絡が入った。

「地下鉄の錦町公園駅から歩いて少しのとき。」

「どうやって見つけたの?」

「それは、アタシのカンよ!」

 そっか、と美沙は納得した。千尋のカンは結構当てになるのだ。

「あ、でも、お父さんが心配してたの。変な所に当たるんじゃないかって。」

「いいよー。どうせ一度しか行かないんだし。連絡先とか渡さなきゃいいでしょ?」

「……まあ、そうだね。うん、わかった。」

 こうして、行き先はあっさりと決定した。


*       *       *       *       *


 そして、日曜日。

 抜けるような快晴だった。

「うわーーーーー、うわーーーーーーー。」

 つばが広くついているスカイブルーの帽子をかぶって、美沙は教会堂を見上げていた。

 白を基調とした外観に、入り口の真上の2階部分にあしらわれた色鮮やかなステンドグラス、建物のてっぺんには白い十字架が掲げられていた。

「なかなかおしゃれだねえ、千尋ちゃん。」

 目を輝かせながら、いつになくワクワクと美沙が声を上げる。美術部員の美沙にとってきれいなもの、美しいものは好物なのだ。

「な、アタシのカン、当てになるだろ?」
  深い紫色をした涼しげなワンピース姿の千尋が答える。

「うん、なるなる!」
 美沙のテンションが目に見えて上がっているのを見て、千尋も満足そうだ。


 玄関を開けると、たくさんの人の気配がした。子どもの遊ぶ声や、挨拶し合う声がする。ホールの吹き抜けから2階の窓の陽光が差し込み、広めの玄関には柔らかな光が満ちていた。美沙は心のどこかがホッとするのを感じていた。

(なんだろう……この感じ?安心する……。)

「おはようございます。あら、初めての方かしら?」

 パーマをかけた髪型の小柄なご夫人が笑顔で声をかけてくれた。

 テーブルの向こう側にいる。どうやら受付のようだ。年齢は恐らく70は超えていそうなのだが、丸みを帯びたメガネの向こうからのぞくキラキラとした小さな目が魅力的で「かわいい」という印象を与える婦人だった。美沙が応答する。

「はい。きれいな教会ですね。」

「あら、ありがとう。かわいいわねぇ。中学生?」

「そうです、学校の課題で来ました。」

 美沙がハキハキと答えている。

 (…美沙ってこんなに初対面で物怖じしない子だったっけ?)

 普段あまり見ない美沙の様子に、千尋は少々面食らっていた。

「こちらに記入してくれるかしら。」

 半紙を手渡された。名前、住所、連絡先、所属教会などの記入欄がある。

 美沙と千尋は互いに顔を見合わせた。個人情報をどこまで書くべきか。

「アタシがまとめて書きます。それでいいですか?」

「ええ、お願いします。」
 千尋は住所を「仙台市青葉区」止まり、電話番号は未記入にするなど、一応詳細は伏せた。しつこい勧誘などを受ける場合を考えて念のため、である。

 もっとも、入った瞬間から不思議なあたたかさと安心感を二人とも感じていたので、恐らく問題にはならないだろうとは思ったが。

「坂本千尋ちゃんと、美沙ちゃんは……苗字は何て読むのかしら?」

「梛(なぎ)と読みます。」

「珍しい苗字なのねぇ。」
 婦人はふりがなをふっている。

「礼拝は2階の礼拝堂で10時半からです。もうそろそろ始まるから、2階へどうぞ。」
「あ、はい!」
 美沙が元気よく答える。


 らせん状になった階段を上っていくと、踊り場の白い壁に絵がかけてあった。全体に暗い絵で、年老いた男性が若者を覆うように抱きしめていた。若者はホームレスなのだろうか、ドロドロに汚れ切って、疲れ果てた様子で身を任せている。二人を囲む人たちは別段嬉しそうでもなく、神妙に二人を見守っている。

(……不思議な絵……。これは、何のシーンなんだろう?)
 額には「放蕩息子の帰郷」と銘打ってあった。美沙はこの絵にしばらく見入ってしまった。

 と、足元を子どもたちがキャーキャー言いながら駆け抜けていった。

「ほらー。階段で急ぐとあぶないぞ。」
 ショートヘアの若い女性が微笑みながら軽く注意した。
「あ、おはようございまーす。」
 女性が美沙たちに気付いて挨拶してくれた。

「おはようございます。子どもたち元気いいですね。」美沙が答える。

「そうなんですよー。毎週賑やかでね。」
 へへへっ、と笑う女性。年は20代半ばだろうか。鼻の頭にできる笑いじわがチャーミングだった。

「鈴子って言います。よろしく♪」
 すっと握手の手を差し出す。
「あ、えと、美沙です。」
「千尋です。はじめまして。」


 2階へ上がると礼拝堂からピアノの音楽が聞こえてきた。ガラス窓が縦にスリット状に入った大きな木の扉を引くと、バスケコート2面ほどの空間が広がっていた。三角屋根で天井が高く、壁も天井も清々しい白一色で解放感ある印象を受ける。木製の長椅子が縦3列にいくつも並べてあり、50人くらいの人たちが挨拶をしたり、話したりしていた。

 鈴子が真ん中の列の後方の席へ案内してくれた。一つ前の席に座っていた若い男性が振り向いて挨拶してきた。

「おはようございます。増田隆です。タカでいいよ。よろしくね。」
 ニカッと人懐こい笑顔を浮かべる。こちらは20代前半くらいだろうか。

「あ、よ、よろしくです……。」
 あまり男性慣れしていない美沙は少々気後れしている。

「よ、よろしく……。」
 千尋は教会に入ってからどうもぎこちない。いつものモードのままでいていいのかどうか、測りかねているようだ。美沙と千尋は必要以上に背筋を伸ばして座った。

「すずー♪おっはようー♪」
 若い女の子が鈴子に挨拶してきて、そのまま二人で話し込んでいる。


「どこから来たの?」
 前の長椅子に座り、後ろを振り向きながらタカが二人に尋ねた。

「えっと、旭ヶ丘の方からです。聖生学園の夏休みの課題で来ました。」
 美沙が答える。

「あー、そういうやつか。教会は初めて?」
 うんうん、とうなずく二人。

「そっか。オレはオカンのおなかの中にいる時から、ずっと通ってる。」
 野球帽を後ろ向きにかぶっていて、なんだかまだヤンチャな高校生みたいな雰囲気をまとっているが、タカのまなざしはあたたかく優しかった。

「まあ、礼拝は司会者の言うとおりにして、静かにしてればそのうち終わるから。初めての事だらけで緊張するかもだけど、テキトーにリラックスしてていいよ。」

「はあ……そんなもの…ですか。」
 美沙が拍子抜けしたように言ったが、そう言われてリラックスできる図太い神経は持ち合わせていない。千尋は、というと、なぜかうつむいたまま顔を赤くしている。

 (ねえ千尋ちゃん、どうしたの?)美沙が小声で尋ねる。
 (…こういう場所、なんか苦手だ…)渋面でうめくように千尋が答える。いつもの持ち味を出せないことほど苦しいものはない。教会、年上の男性、知らない人ばかり。普通は緊張するシチュエーションなのだろう。そんな中、対照的に美沙は不思議なほど生き生きしていた。


「おはようございます、今日も礼拝で歌う賛美の練習をしましょう。」
 前でマイクを握った男性が本を片手に呼びかける。全部で6曲、1番だけを歌ってメロディのおさらいをした。テノールの朗々とした声が響き渡る。皆、歌い慣れた曲ばかりのようで、練習する必要なんてあるんだろうかと思うくらいきれいな歌声が会堂いっぱいに響き渡った。

「グランドピアノ、おと、きれい……。」
 美沙が目をキラキラさせて聞き惚れていた。

(美沙のやつ、いいなあ……)
 隣でwktkしっぱなしの友人を横目に、千尋はうらめしそうな視線を送る。


 礼拝は1時間半ほどで終わった。
 牧師さんのお話は、想像していたよりずっと聴きやすかった。
 「面白かったか」と聞かれれば、その表現は適当ではない気がする。けど、どう表現していいのかわからない。何とも不思議な語り方だった。

 いや、別に不思議な話をしたわけではないのだ。身近なたとえ話が多かった。牧師さんが昔やっていた野球やスポーツを信仰の姿勢になぞらえたり、愛し合う夫婦や家族が「さんみいったい」(漢字が分からなかった)の神を表すイメージだ、とか。誰もが知っている事を話しつつ、美沙たちが知らないことに結びつけて話をしているような、見た事のあるものを通して、目に見えないものを描き出そうとしているような、そんな語り口だった。

 がやがやがや、と礼拝後の会堂は騒がしかった。めいめい、仲良さそうにあちこちで立ち話に花を咲かせている。美沙たちはまだ席に座ったままだった。

「……なあ、美沙。」「うん。」

「メモ取れたか?」「……ある程度……。」

「レポート、書けそう?」「……えーと……。」
 うん、と言えない。

 前の席のタカが振り返って話に加わってきた。
「お疲れー。レポート?あーそうか。課題って言ってたね。今日のメッセージ、今夜にはウェブサイトでも聞けるよ。」

「!……ほんとですか!!!」
 そんなら礼拝に来なくてもレポートは書けたではないか。千尋の頭をそんな考えがかすめた。

「帰ってから、また聞いてみます……。」
 美沙が自信なさそうに答えた。




「本当にいい?お昼ご飯、食べていかない?」
 受付にいたご夫人がしきりに進めてくれたが、丁重にお断りして教会を後にした。夏の日差しが照りつける中、地下鉄の駅までぽつぽつと歩く。

「……異世界ちゃー、異世界だったなあ。」

 千尋がぽつりとつぶやく。何が、と聞かれれば、うまく言葉にできない。怪しいとかイヤな感じとかはしない。

 しかし、自分たちが普段いる世界とどう違うのか、と聞かれれば、それもうまく言葉にならなかった。

「……人の壁、年代の壁がなかったような感じがしたかなあ。」
 美沙が感じたことを言葉にした。ああ、と千尋が空を見上げながら言う。

「そうかもな。確かに大人から子どもまで、仲良さそうだったよな。」

 同じものを信じると、人はこうもガードを降ろせるものなのだろうか。そういえば聖生学園の教師陣も仲が良い。ついこの間まで通っていた小学校では、先生同士は仲が良いというより「一緒に仕事をしているだけ」という感じだったのに。


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