2/12 よもやま 自分に自信がない話

私は自分に自信がない。

ずっと間違えないように生きてきた。ずっと優等生であろうとしてた。ずっとかっこつけてきた。

だけど、本当はおもいっきり間違えるし、すこしも優等生でいたくなかった。ほんとはかっこ悪かった。

クリエイティブな人に混ざりたくて、そういう場に行ったことがある。でも、みんながキラキラしていて、私はさらに惨めになるだけだった。

そういう場に所属して、コラムも書いたことがある。エッセイみたいなのも連載したこともあった。仲間であるキラキラしたひとたちは本当にすてきで、やりたいこともあって、お給料もたくさんもらってるような仕事をしていて、そしてなにより優秀だった。私にはすごく眩しかった。

人と比べてしまう。

別に差別されるわけじゃないし、ひどいこと言われたとかそういうわけではない。ただただ、その場はとても素晴らしかった。逃げ出したくなる。

そして逃げ出してしまった。なんだか分からないけど、どうしてもそこに居られなかった。

今思い出したことがあった。

小説を書いている人と仲良くしていた。賞をとったらしかった。ここでは伏せておくけど、有名な作家のお弟子さん? スタッフ? のようなことをしている人だった。

受注した文章を書き、小説を書き、脚本を書き、それらを師匠にチェックしてもらっていた。原稿もよく読ませてもらっていた。

彼女はいつも私を見下していた。歳も私の方が下だったので、きっとそういうのもあったのかもしれない。いつも自分はプロ、私をただの凡人として、そしていつも自分の方が上だと、お前はお呼びでないという感じで、小説を書くことの何たるか、みたいなことを話してきた。悪気はなかったんじゃないかなと思う。無意識に、ナチュラルに、私を見下していた。

文章を書くことが好きだった。書けばなにもかも忘れられた。そのことすら、私に許されないような気持ちになった。私には才能がない。それは分かっている。彼女といると、いつも惨めだった。

一生懸命に楽しそうに創作しているひとたちがとても羨ましかった。お互いに誉めあって高め合って羨ましかった。私はひとに自分の書いたものを見せることが怖くなっていた。なにひとつ書けなくなった。

私が何かしら書くと、彼女はその都度アドバイスをくれる。でも、明らかに、私を見下して話す。私が日記を書くと、何かしら感想をよこす。まるで私の行動や思考が浅いとも言わんばかりの態度で。

自由に生きたいと思う。クリエイティブに人生を創造できたら。そう思うのだけど、私はそういう場に居る人達がいつしか怖くなってしまった。私は、私を信じられないからだ。

そうだ、私は私を信じていなかったんだ。私は、私を、見ていなかったんだ。

自分を否定するから、否定されるのか。

何だかんだ書いていて、少し、何かに気づいた気がする。

私はやっぱり、書くことが好きだ。

ずっと何も書けなくて、ここで密やかに文章を置いている。いわゆる、リハビリでもある。

こんな私の文章でも、嬉しいことを言ってくれる人がいる。私はその度に涙が出る。ありがとうと、心から思う。

まるで、あなたはそこに居ていいんだよ、と、認められたような気持ちになるのだ。

何気ない一言が、ひとを救うことがある。

私は私の文章を書く。生きづらくて悲しいひとに寄り添えたらと思う。

私の文章は、上手くもないし、技術もない。

小説にしては、きっとおかしい文章じゃないかと思う。

けれど、私だからこそ、書けるものも少なからずあるのだと、そう信じたい。




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