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幸福は人間によって生み出された

「(われわれは幸福を発明した)末人たちはそう言ってまばたきする」


末人、すなわち現代人に向けて、毒ある予言をしたフリードリッヒ・ニーチェの警句じみたこの言葉は、われわれの心を深く揺り動かさずにはおかない。

十九世紀後半、すでにヨーロッパ社会は産業革命を完成させ、物質文明と化し人々は豊かになったという錯覚に陥ってしまった。いわゆる資本主義的な生産=交通関係を成立させた西ヨーロッパの近代は幸か不幸か、人間の社会統合のひとつの本質的なあり方を体系的に崩壊させ、社会を在来の方式とは正反対の制度的建前と自覚理念に基づいて組み替える歩みを進めたのであった。この建前や理念は西ヨーロッパという一地域的社会で成立したのであったがその後世界全体に浸透し、大きな影響力を達成したのである。科学の発達とこうしたことが、今までの人々の心の中で絶対的なものとされてきた(神)というものを徐々に崩し始めた。

ニーチェは『たのしい知識』(1882)の断章第125番で、はじめて神の死に触れた。一人の狂人が、「神はどこへ行ったのか。わたしがそれを教えてやろう。われわれが神を殺したのだ。おまえたちとわたしとが。・・・神は死んだ。死んだままだ。そして神を殺したのはわれわれだ。」と言うのである。

また、ロシアのドストエフスキーは大作『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」というイワンの作った大叙事詩で来るべき社会主義と物質文明に踊らされる人々の弱さを批判している。

アメリカは元来、「自由、平等、博愛」の精神の上に建国された国である。ヨーロッパの腐敗した社会の否定に成り立っているといえよう。だが結局は第一次世界大戦に参戦したのも、所詮は科学の発達と共に資本主義社会の成立という自国のヨーロッパ化にすぎなかった。

こうした状況下で詩人ウォーレス・スティーヴンス(Wallace Stevens,1879-1955)は『日曜の朝』で明らかにニヒリズムに陥ったアメリカ社会をうたうのに成功している。この時期はモダニズムの到来した時期であり、スティーヴンスをはじめ、エリオットやパウンドといったイマジズム詩人たちが活躍した時代であった。パウンド(Ezra Pound,1885-1972)は1913年に『いくつかのべからず』でイマジズム(Imagism)を以下のように定義している。

ひとつにものを直接的にあつかう、ふたつに提示に関係ない言葉は絶対に使わない、みっつにリズムについていえば、音楽にしたがうのであって、メトロノームにではない。

特にみっつめのリズムは表現されるべき情緒、または情緒の陰影を正確に反映する「解釈的リズム」でなくてはならないというのだ。このことからイマジズムがニーチェの思想から派生したものであることがうかがえる。

ニーチェは古代ギリシャの哲学家プラトンの思想をもとに『悲劇の誕生』(1872)のなかで、音楽は魂が最初に発する原始的なことばであり、明瞭に分節化されたことば、つまりは理性を欠いた(アロゴン)であることを述べている。イマジズムのリズムはニーチェがいう理性に敵対する音楽にしたがっているに他ならない。

続く

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