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懐かしい音楽を聴いていた。

100を優に超えるCD達を、どうしても断捨離することができない。
これを買った時は、・・・ああそうだ、そうそう…などと昔を思い出しながら聞いている音。


死にかけたことがある。

椎間板の具合をみるのに、検査薬を入れてみたら
検査薬にアレルギー反応が出たのだ。

「大丈夫です。検査薬を薄めればいいんですから。」
と言っているドクターの横で、私はエクソシストのリンダ・ブレアみたいに痙攣していて、激しくベッドごと揺れていた。

看護婦さん達が3人がかりで押さえつけようとしたけれど、
全部跳ね飛ばすほどに痙攣は激しかった。
検査薬を薄めるための点滴は、手足をベルトでベッドに固定されて入れられたけれど、
当然の如く薬剤は漏れて手はパンパンになった。

痙攣が一向に収まらぬ私を見て、院長まで出て来た。

意識も飛んで、血圧も考えられない数字を叩きだし
「この薄める薬は相当強いので、3回が限度ですが、まあ、1度で大丈夫ですから」と担当ドクターは言っていたのに、容体はちっとも良くならなかった。
3回目の点滴時、母は「もし何かあっても・・・」という承諾書にサインをさせられた。

私は全身痙攣を繰り返し、白目をむいていたのだけれど
耳元でドクターが

「・・・やばいな」

と言ったのを、はっきり聞いた。

若手のもう一人のドクターが

「・・・ですね。」

と言ったのも、はっきり聞いた。

そうか。もう、私は駄目なのかもしれない。

そうか・・・と思ったけれど、最後の最後の段階で幸いにも薬は効いて
私は生還した。

「意識が飛んでいたから、何も覚えてないだろうけれど、昨夜はちょっと大変でしたね。」と、担当のドクターが言った時、ぐったりしながらも、え?覚えてますよと私は思った。

貴方が「やばいな」って言ったことも、若いドクターが「ですね」と相槌をうったことも、
ちゃんと判っていたし、覚えていますよと思った。
言わなかったけど。

人間の五感の内、最後まで残るのは「聴力」だと言われる。

そのことを私は、不思議だなあと思う。

とても不思議だと思うし、怖いなあとも
切ないなあとも思うのだ。

そう言えば、父の最後の時
真夜中でも駆けつけてくれたかかりつけのドクターが
父の体のすぐ横で
「もう、何を言っても聞こえませんから」
そう言ったこと。

いい先生だ。
ありがたかった、世話になったと思いながら
今だに喉に刺さった魚の骨のように、そのことを思ってしまう。

私が、最後に聞く音は、なんだろう。
どんな言葉だろう。
誰の言葉だろう。

いや、言葉でも何でもない、単なる「音」かもしれない。

その音を想像しては、不思議な気持ちになる。

なぜだろう
それはきっと、とても美しい音のような気がするけれど
案外聞くに堪えない酷い音かもしれない。

笑える音だといいな。

のんきでほがらかなちょっと間抜けな音でもいいなあ。

CDからは懐かしい音楽が流れ続けている。
あの頃の私を一緒に連れて。

あの頃の私は、こんなこと考えもしなかったな。
そう思いながら
次の1枚を聞く。

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