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フェンスと距離と愚考

金網のフェンス越しに見た君の横顔。
僕からフェンスまで2メートル。
フェンスから君まで5メートル。
2人の距離は?
僕は僕と君を遮る壁のようなフェンスに近寄る。
目の前にある一つのひし形から君を見る。
ひし形で君を囲ってしまう。
カメラのファインダーを覗いているような気もするし、障子の穴から覗き見をしている気もするし、何故か映画の予告編を観ているような気もする。
既に書き上げられてしまったストーリー、結末まで撮り終えてしまったストーリーに僕の入り込む余地などなく、ましてや主人公になれるはずもない。
僕は大勢いる観客の1人。
君はスクリーンの向こう側。

世界はたくさんの見えないフェンスで仕切られている。
人は皆お互いに隙間から覗き合い、様子を伺い合いながら接する。
自らを守る為のフェンス、守っているつもりだと思い込む為のフェンスであると同時に自らを閉じ込めてしまっている。

本質に触れる事なんて出来ない。
触れようとしない。
そして触れさせないようにする。
でも分かって欲しいと願うのは何かの冗談だろう。
気が落ち着いているときにそれを聞かされたなら笑えるかもしれない。

矛盾が生じ、それを理解した上で改善も対策もなくそのままなのだ、人間って奴は。
そいつを抱えたままでも生きていける。
嫌だけどもちろん僕もそこに含まれる、嫌だけど。
人間覗き見人間窺い人間様子見人間期待人間覗き見人間伺う人間拒絶人間
本質を触れ合うことの出来る人間関係って世界にいくつあるんだ?
あるのか?
あったとすれば誰が数えるんだ?
可視化できるのかな?
何この思考、今必要なの?
今、五感で感じる事が出来るものは『今、目の前にあるもの』だけだ。
集中しろ。


額からスタートし、頬へと伝う汗。
頬から顎へ向けてスッとカーブを曲がり、顔の一番低い部分から君を離れ、水の玉となり乾いた地面に落ちる。

君の汗は生きている証明のような、そんな温度を感じさせる。
実際に触れたわけではないが僕が目を離せない理由はそれだろう。
君が手の甲で汗を拭う。
生きている証明を。
喫茶店で待ちぼうけを喰らっている少年がテーブルに置かれたグラスに発生した水滴を指先で遊ぶ絵が思い浮かんだ。
なんの対比だ。
要らない。

1……2……3回、息を整え、ゆっくりと顔を上げ、ある一点を見つめる。
とぅとぅとぅっと少しだけ跳ねて体重を軽くしているようだ。あれをすれば天から誰かが引き上げてくれるのかもしれない。何度目かの着地の瞬間に君が息を止めたのが分かる。
そして君は走り出す。
音が止まる。
僕も急いで息を止める。

しなやかなフォームでトサットサッと地面を蹴り加速を続ける。
君の姿を追うがフェンスが邪魔だ。

目標物に対して斜めに切り込む。

踏切でズシッと飛び上がり空中で体を捻るヒュルンッ。
バーの上を頭が通過し、肩もそれに続く。
まるでバーは触れてはいけない誰かの過去のようだ。
きっとこの競技でも触れてはいけないのだ。
そして腰。
その時ちょうど君の姿は下を向いた三日月のような弧を描いた。
三日月の上下がどう定められているかは知らない。
⌒←こんな感じだ。
そして両足がバーに当たらないように膝から上を伸ばす。
それがちょうど太陽を蹴り上げたみたいでおもしろかった。
太陽は全く動じないけど。

バフンッ!
着地。

息を止めていたのに気付きハッとした。

今の瞬間、ついさっき今し方見た映像をもう一度見たいと思い巻き戻しのボタンを押すが効かない。
まるで手応えがない。
そんな機能はなかった。
せめてスローモーションで見ていたかったと思いながら僕の脳は曖昧に、断片的に、不確かに刻み込む。
曖昧なのに、断片的なのに、不確かなのに『刻み込む』ってのは違うな。
『覚える』だ。
曖昧で、断片的で、不確かなのが『覚える』だ。

写真のように一瞬をツルツルのひらひらの紙に切り取ることも出来ない僕の出来損ないの脳。
ビデオカメラのような運動会での我が子の活躍を捕らえようと必死に一つの赤白帽子を追い掛け、子供が大きくなった時にその一部始終を見せてやれる程の機能もない。

ボタン1つで映像が目の前に現れたりなどしない。
僕の記憶力にそんな便利な機能はない。
僕は全てが不便で不十分なのだ。
求めちゃうからだ。

1つずつ思い出しながら完成を目指す。
ジグソーパズルのような記憶力。
ピースが足りなければ自らで思いのままに作りあげることもできる。

曖昧で、断片的で、不確かに覚えているものとなんとなくそれに合うように隙間を埋めて出来上がったそれは事実ではないし、僕以外に見せる事は出来ない。
ただ僕にはそうすることしかできない。

ドクンッドクンッドクンッ!
僕は自分の鼓動が高鳴っているのに気付く。
音が戻ってきた。
それと同時に謎の衝動もくっついてきた。

フェンスを取り除くために僕は何をすべきだ?

どうしてそう思う?

フェンスの向こう側に行く為には?

何のために?

フェンスを飛び越えるのはどうだ?

その後は?

疑問符ばかりが僕に付きまとい2人の距離は縮まることはない。

疑問符は僕自身じゃないのか?

疑問符って何だ?

何故?何を?何に対して疑問に思う?

回線を切断するザクッ!
考えるのはやめる。

フェンスに手がかかる。
フェンスは少しだけひんやりとしていた。
気にしない。
僕の手が熱を持っているってことだ。
どうでもいい。
僕の片足は一つのひし形を埋めていた。

視界にひし形が写りこまなくなると君が僕を見た。
笑ったような気もする。

僕の言葉が君の人生に入り込んだなら評価してくれ