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【BORDER .9】線を引く

線を引く / manami tanaka ( Photographer )

今回はKINEMASのツアーによく同行してくれている撮影スタッフ・田中さんからいただいた文章の掲載です。主に写真と、動画もとっていただいています。そのおかげで最近のライブはライブ動画やツアームービーも作ることができていて、本当に感謝しています。もしYouTubeのライブ&ツアー動画や写真等を楽しんでいただいている方がおられましたら、田中さんに感謝してください(笑)。ちなみに田中さんは本も書かれてまして、こちらで( https://kinemas.kawaiishop.jp/ )でも購入できます。(KINEMAS宮下)

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◆はじめに 前書きと本文のボーダー

いつか人から、そんなんじゃずっと一人だよ、と言われたことがある。 ひどいこと言うよねと思ったけど、写真を撮っていると、それでもいいと思えてくる。

この一年あまり、KINEMASと一緒にツアーを回り、表から裏までさまざまな写真を撮らせてもらった。 7月の台湾、9月の台湾、12月の韓国、そして2月の韓国。そのあいだに祇園祭やフジロックで出店もしたし、とうぜん ライブもあったし会うたび酒を飲んだ。 2019年3月に初めてライブの撮影をさせてもらってから、約一年間での総シャッター数はざっと数えても15,000枚を超えている。

ところが、どれだけ一緒にツアーを回らせてもらってどれだけ親しくしてもらっても、彼らと私には明確な境界がある。 それは、ステージに上がる人間と上がらない人間、見られる人間と見る人間の境界だ。


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◆まなざし ステージの上と下のボーダー

ステージに上がる人間と上がらない人間、と書いたが、「ステージに上がらない」という言葉はあまり正確ではなくて、 厳密に言うと「それ(ステージに上がる)以外の」となる。

私はもともと舞台芸術を学んでいて、舞台に上がること、人前に立つことについては人一倍考えてきたつもりだ。 それはつまり、まなざしを受け容れると言うことに他ならない。まなざしについての概要はWikipediaでも読んでもら えればいいと思うのだが、ひとことで言うと、他者の視線によって規定・品評・美化・蹂躙される(ような)様々なこ と、という感じになるだろうか。
そこにあるのは、オーディエンスからの「見上げるまなざし」だ。 舞台の実際の高さに関わらず、表に立つ人間というものは「見上げられる」ものである。それは、わずかな嫉妬心・やっ かみ・皮肉をも含蓄した。

とりわけSNSが普及し、一人一台カメラ付きのスマートフォンを持つこのご時世の視線の暴力性については言うまでも ない。

そうでなくとも元来視線というものはある種の暴力として存在していた。 他者のまなざしはいつも冷たく、同時に熱すぎる。


◆まなざし2 ファインダーの向こうとこっちのボーダー

人にカメラを向けているとき、銃口を向けているような感覚がある。シャッターを切ることは引き金を引くことと似ている。そういう覚悟で写真を撮る。

これは、カメラを向けること自体が「見ているぞ」とまなざしを強く主張することとほとんど同義だからだと感じる。

写真は圧倒的なる「他者のまなざし」だ。

私はカメラを通してKINEMASのメンバーを見ている。事実として、カメラを向けることで、自分と被写体の間に線が引かれる。 一緒にツアーを回って、同じテーブルで同じ食事を食べ同じ酒を飲んでも、いつもどこかでそのときカメラを向けるか 向けないかの判断を下している。こんなふうに言うと、すこし冷たく聞こえるだろうか。 けれどこれが私の仕事で、私の覚悟でもある。

カメラマンの孤独というものがあるのだとすれば、それはこういう行為に所以するものだと思っている。もちろんカメラを構える人間が皆そうだとは言わないけれど。

境界はある。私はステージに立たない。 もちろんステージの上に立って写真を撮らせてもらうこともあるし、KINEMASのメンバーは「田中さんもメンバーだよ」 なんてうれしいことを言ってくれるが、私はそれは違うと思っている。(宮下浩という男はほんとうに口がうまい) 

私は(少なくともKINEMASの現場では)カメラマンだ。カメラを構えるからここにいることができる。


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◆かっこいい大人 非日常と日常のボーダー

御託を除いてシンプルにKINEMASの話をすると、彼らは遊びの達人だと思う。 2018年4月の宮下さんのブログに、以下のような記述がある。

「もっと世界を広く、自分を深く、骨の髄まで楽しみたいんです。人生を。
 そう、つまり僕はもっと遊びたいんです。笑
 究極の遊び、自分にとって最高のエンターテインメントの一つが”キネマズ"なんですね。」

ご存知のとおり、KINEMASのライブというのがこれまたかっこよく、セッション的な要素が強いもんで、メンバーによっ てフレーズや響きが大いに変わってくる。 これまで別々に培ってきた技術や勘みたいなものを、その場所、その瞬間に全開放して遊んでいる。


日々の暮らしの中では、そりゃあしんどいこともあればみっともない瞬間もあるだろうけれど、ステージに立つ瞬間だ けは、彼らはかならずヒーローなのだ。 これまたご存知のとおり、KINEMASは全国にメンバーがいる。ライブのそのたった一つのステージを目指して、彼らは 日常を超えて集まり、演奏して笑ってお酒を飲んで、またそれぞれの場所・日常に帰ってゆく。 なんだかまるでアベンジャーズじゃないか。かっこよくないわけがない。

こういう姿を見ていると、大人になるって悪くないなと思える。自分で考え自分で決めて、自分で責任をとる。彼らは 人生の楽しみ方を知っているように見える。 私自身、子供の頃より今がずっと自由だなと感じているところもあり、そういう感覚がKINEMASの音楽や活動とフィッ トしているように思う。


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◆境界 最後に、私とあなたのボーダー

近代、境界は乗り越えるべきものとして存在してきた。 「会いに行ける」系に始まり、SNSの普及もあり親近感が持て囃されやすい昨今、自分と他者の間にある距離や境界が あやふやになりやすいという側面もあるだろう。

ところがこのコロナ禍で、距離のあり方、境界のあり方がにわかに再考されているように思う。 私はこれを悪いとは思わない。境界を挟み、他者を他者と認識するからこそ見えるものがあると考える。

最大限の敬意と愛情を込めて、私は線を引く。 どんなに親しくなっても、セックスをしても、血が繋がっていても、他人は他人。 でも他人だからこそ一緒にいることができる。 これが一人きりということなら、私はずっと一人きりでいい。

悲しい哉、私はバンドメンバーではない。そのサウンドを共に生み出すことはない。 けれど私は最高のサウンドやパフォーマンスが生まれる瞬間を、いちばん傍で見ている・聞いている。 それを記録したいと思う。

この雰囲気、この瞬間、この表情、この音。 おそらくいつかすばらしい思い出になってしまう今を、いつでも思い出すことができるように、一本線を引いて目印とする。


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