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娘ちゃん卒業する。母の心のなごり雪。

先日、中学校の卒業式を迎えました。
娘ちゃんは同級生の皆さんと同じように、朝8:30に最後の登校をし、同じように胸にお花をつけてもらい、並び、呼ばれ、返事をし、卒業証書を受け取り、同じように送辞や答辞を聞き、合唱し、退場し、同じように最後の学活へ参加し、別れを告げ、校舎を後にしました。
皆さんと同じように出来ないことに苦しみ葛藤していた娘が、なんと立派に。
いろいろなことがあった中学校生活でした。
卒業することを想像しただけで、私は数日前から目頭が熱くなっておりました。絶対に泣いてしまうと思っていたのに。当日は冬が逆戻りしたかのように雪が降り、寒くて、誰もコートを脱がない保護者達。コートの中が烏野ジャージでも誰も気が付かなかったと思います。また最近息子の登校しぶりもエスカレートして来ていて、対応で朝からすでにHPが半分です。礼服で雪の中小学校へ送って来たので、足元はびしょびしょのままです。朝5時から巻いた髪もとれました。せっかく作った生花コサージュだってコートを脱がないので、お披露目されることはありませんでした。答辞を読まれた生徒さんが、時候のご挨拶をしっかりと”なごり雪”と差し替えて読まれていたのが印象的でした。素晴らしい。
帰宅後、冷え切った身体を温めるため、娘と二人でうどんを食べました。
よッ!卒業おめでとう!

中学校生活を無事に送ることが出来たのも、理解ある先生方のおかげでした。本当に感謝申し上げます。
中二時代の担任の先生には、本当に良くして頂きました。学校が好きで行きたがる娘でしたが、身の回りの事も出来なくなっていました。まだ通うことは無理だと決めつける私達でしたが、先生は『学校は彼女のいるべき場所なので。』と受け止めてくれました。体育祭だって、合唱コンクールだって、修学旅行だって、とても出られる状態ではなかったはずですが『ミンナト イッショニヤリタイ。』という娘の気持ちを最優先に、(部分的にではありますが)全部の行事に参加することが出来ました。また、私達が回復を焦った時には、先生はゆっくりゆっくりと導いて下さいましたし、これだけ接していたので、息子まで懐いておりました。
中三時代の担任の先生にも、お世話になりました。丁寧な引継ぎをして頂いていたようで、新しいクラスになってもスムーズに娘も学校へ通うことが出来たと思います。志望校が決まったときなど、その時娘は入院中で、まだ朝起きられるようになるのか分からないし、私としては一般入試まで様子を見るか、無理せずに通信型が良いと思っていました。通信型の学校も様々でオープンスクールにもいくつか参加していたからです。ところが先生は『第一志望なら、通学型の専願がいいと思います!』と力強く後押しをして下さいました。先生その強気はどこから…。慎重になり過ぎて二の足を踏む私に、本人の気持ちを代弁して下さったのだと思います。結果バンザイです。
そんな先生方ともお別れです。病気になったことで、娘自身も私達家族も、激動と言える中学校生活でした。しかし、だからこそ得られた出会いや経験が確かにありました。

ここから、今まで全くふれてこなかった中一時代の担任の話です。
その先生は異動されており、娘が中二になった時点ではもう学校にはおりませんでした。たった一年、娘の担任をして頂いたというだけのことです。もう顔も覚えていません。その先生に何か娘がハラスメントなことを言われたわけでも、されたわけでもありません。その時、先生は、先生として、言うべきことを言い、するべきことをした、というだけのことなのです。
思えば娘の様子が変わり始めたのは中一の初冬頃からでした。提出物を出さない、学校や部活の連絡を通さない、ぼーっとしている、などなど。
ある時、担任の先生から電話がありました。
(詳細は省きますが)娘が同級生にご迷惑を掛けたようで、相手の同級生が困って担任へ相談したのだそうです。担任は娘へ事情をきいたが要領を得ず、保護者側からも事実確認をして欲しいとお願いされました。相手の同級生の主張と、娘の主張は食い違いを見せていました。私は娘の事を信じたいけれど、おそらく真実は相手の言っていることなのだろうと思いました。
何を聞いてもはっきり言わない、分からない、そんなことしていないと言い、違和感だらけでした。おそらく担任もそう思ったのだろうと思います。
私も担任も、娘の方に非があると思っており、なんとか本人に認めさせ、同級生への謝罪へもっていこうとしていました。それこそが円満解決であると信じ、担任としても、親としても、果たすべき責任であると信じていたのだと思います。
しばらくすると、今度は別の同級生とトラブルがありました。仲の良かった二人の同級生から、娘は避けられ、仲間外れにされたと言い、泣きながら帰って来ました。交換ノートを遅延させてしまってはいたが、その他に娘は心当たりがないと言います。担任からも連絡がありました。二人の同級生に話を聞いたところ、要因は娘の日頃からの振る舞いに不満が募ってやったとのことでした。私は確かに有り得ると思いました。家庭での娘の様子を見ていても、その同級生の気持ちが分かるような気がしました。言ったことが出来ないので、人の話を聞いていないのかと思い怒りましたし、やりっ放し、出しっ放し、時間かかり過ぎ、考えて行動しなさいとやっぱり怒りました。

まだ中学一年生でした。時には意図せず他人に迷惑を掛けてしまうこともあるでしょう。人は失敗をします。でもその後、どうしていくかです。担任からもそう言われました。失敗の経験から学ぶことは大きいです。私なども身の毛もよだつような失敗の数々…。
しかし娘は病気だったのです。病気の前触れだったのだと、今なら分かります。人に迷惑を掛けてはいけない、そんなこと娘だってとっくに知っていることです。学校での過ごし方や、お友達との付き合い方だって、今までだってやって来ました。それが出来なくなる脳の病気だったのです。なぜそうしているのか、そうしてしまうのか、自分でも何が何だか分からない状態だったと思うのです。そこを責められ、謝罪させられ、娘はひとり孤立していました。
無知な私はまさか娘の中で病気が進行しているだなんて思いもしませんでした。一緒に暮らしている私達ですら、そこに気が付くのには時間がかかりました。『もしかしてそうかも知れない…?』という可能性の引き出しに”精神疾患”がなかったのです。

娘とトラブルがあった同級生達は、その後、娘が学校へ来なくなったことをどう思ったのでしょう。少しばかり気になったりはしたのでしょうか。もう関係ないと思っていたでしょうか。どう思っていただいても構いません。迷惑を被った側にとっては、相手の事情など関係ありませんし、病気だったのだから大目に見て欲しいなどと思っているわけでもありません。迷惑をかけたのならば謝る、それはどんな事情であろうと変わらないと私は思います。
ただ”あの子は学校をしばらく休み、再び来るようになっても教室ではないところにおり、良く分からないけど行事にはいるようだ。”という何となくでいいので、そういう人がいたという認識を持ってくれていたらとは思っています。
でも異動してしまった元担任は、その後の娘の状態を知らぬままなのではないでしょうか。娘に病気の兆候が出ていたことは、家庭でも気づくのに時間がかかってしまったくらいです。ともすれば本人の性格とか、一時的なものとか、でギリギリ収まりそうなレベルともいえます。なので、“兆候に気づいて欲しかった”というのは無理な話でしょう。
それでも、娘がその後の2年間をどう歩んだのか、どう頑張ったのか、笑顔が消え目は虚ろ、会話もままならず、足取りもおぼつかなく、それでも学校へ通ったこと。出来ないなりに精一杯、勉強や行事に取り組んだこと。そして少しずつ笑顔を取り戻していったこと。学校にいない先生はその姿を間近に見ることも感じることもなく、きっとそれについて何か考えるということすらなかったのだと思うと、私はやりきれなさのようなものを感じているのです。
娘はというと、特に元担任に苦手意識はないらしくケロっとしたもので1年終了時には元担任の好きなアニメのキャラクターを描いて『お世話になりました⭐』的なメッセージを一生懸命に書いておりました。
卒業式の後、うどんを食べながら『ママはあの先生なんか苦手だったな~』と言うと、『へ~そうなんだ~ケケケ。』みたいなこと言ってました。
元担任と娘は、各々の人生において交差のタイミングがそこではなかったということでしょう。先生は、あの時、先生として、言うべきことを言い、するべきことをしただけ、それだけなのです。その先に何が待ち受けているかなどは、知るよしもなく。
娘の中学校生活は終わりました。相も変わらず後の祭りがワッショイな私ですが、このモヤりを成仏させたくて書きました。精神疾患に対する理解が深まり、『もしかして…』の気付きが早まることを願って。

執念のお披露目

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