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娘ちゃん1時間目から学校へ行く。伏線回収ダイジェスト。

最近の娘ちゃんは大変イイ感じになっております。そんなイイ感じの娘ちゃんをダイジェストでお伝えします。

何といってもこれでしょう。
朝起きれるようになりました!!
ジャーン!!
高校生になれば、朝から起きてバスに乗って通学しないといけません。
娘ちゃんにとっては憧れのバス通です。
残りの中学校生活は、いざ高校生活に向けての準備期間といえます。

発病してから、1年半。
この病気は何よりも睡眠で回復するのです。睡眠が超絶大事なのです。健康な人が「あー良く寝た。スッキリした~。」とはレベルが違います。疲弊した脳が回復する為には、寝過ぎなどという言葉はありません。
かといって、自分で目覚ましを掛けて時間になったら起きてくる、ということはまだ難しいので、やはり私が起こすのですが、それにしたってすごい進歩です。以前ですと『明日は○時に声を掛けるね。でも無理しないでね。起きられなかったらそれはそれでいいからね。』という非常にゆる~いかんじで起こしていました。こちらも起きると思って起こしてないです。1、2回声を掛けて起きられなかったらもういいことにします。
当初は午後の3時とか4時とかまで寝ていました。なのに『明日から朝から学校行く。』とか言うので、こちらは遠い目をするしかありませんでした。
少しずつ午後の授業へ行くことから始め、午後2時(5時間目の始まり)を目指して起床と準備をするようにしていきました。始めはギリギリでした。ひとつひとつの準備も非常にゆっくりでしたので、12時半にやっと起きて、13時45分になんとか出発、という時期が1年ほど続きました。少しずつ少しずつ起床時間が早くなり、たまにの11時くらいの予定なら、行けるようになりました。そして希望の高校へ通う為、生活リズムを整える為、意を決して入院をしたのです。
病院での起床時間は午前7時。朝食は7時半です。いきなりとんでもない早起きです。でも入院中、毎日ちゃんと起きたのだそうです。朝食を下膳スレスレで食べたこともあったそうですが、がんばったんです。
退院後、せっかく整えた早寝早起きのリズムがまた元に戻ってしまうというのは良く聞く話です。確かに、戻ってしまう時はどんなに気を付けたって戻ってしまうだろうと思うのです。でもそこで肩は落とさずに、現在地が分かったのならば、やれる範囲で起きればいいし、学校だって自分のスタイルに合った学校を選べばいい話です。無理をしてまで朝から授業のある通いの高校へ行く必要はなく、選択肢は他にもたくさん用意しておきました。
突き放すわけではないけれど、結局は本人次第なのです。娘ちゃん自身が、どんな自分になりたいかです。

そして時は流れ、現在の起こし方です。
『起きるの?起きないの?それとも休むの?高校になっても休むの?』『バスだったら乗り遅れてます。お母さんは送りませんよ。』『もうギリだからね!パン焼くよ!降りといで!』『アレクサ!NiziUをかけて!』
だいぶ遠慮ない物言いになって来ています。布団もはがします。
今、娘ちゃんが本当に望んでいることは、朝から学校へ行くということです。眠そうだから眠らせてあげる、というひとときを叶えてあげることではないのです。そしてそれを現実のものに出来るポテンシャルがある上での起こし方です。愛を込めて布団をはがしているのです。私のキャラ変はそろそろ潮時なのかも知れません。

今の3年生の同クラの皆さんは、初めて見る光景でしょう。娘ちゃんが1時間目から授業を受けている。朝の光を浴びている。
別に気にしてないかな?あ、今日はいるんだ?くらいかな?
でもね、私達にとっては大きな大きな出来事なんですよ。

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嬉しいことに、笑顔がめっちゃ増えました。表情が豊かになったと言えます。笑顔だけでなく、怒りや戸惑いや不安もなんですが、微妙な心の変化が表情にのってくるようになりました。
平時においてはいつもニコニコとして、まとう空気感が柔らかいのです。陰性症状が薄らいできているのが、良く分かります。娘ちゃんてこんな子だったな…と、親なのに思うんです。
娘ちゃんて昔から本当におしゃべり好きで、家でもずーっとしゃべってたのです。学校であったこととか、お友達のこととか、好きなこととか、もう色んなこと。普通のことです。他愛ない話です。それが失われるなんて、思いもしなかったのです。無表情で、目はどこを見てるかわからない、しゃべらない、伝わらない、ニコリともしない。私にはこの症状が最も辛いものでした。
今は再び、笑っています。微笑みます。時には爆笑します。ツボに入ればひき笑いもします。いろんな顔を見せてくれます。すごいことです。そのひとつひとつが私には輝いてみえます。
でももしかして、本当に失ってしまったかも知れなかったのです。今回は回復することが出来ましたが、先のことは分かりません。考えたくないですが、完治しない病気です。当たり前だと思わずに、大切に大切に過ごしていかねばなりません。

人間は自分の気持ちを相手に伝えたくて、持ち得るスキルを駆使して表現します。表情?目線?仕草?ポーズ?ボリューム?会話の間?でもそれがうまく出来ない人だっています。空気をよむとか察して動くとか出来ない人だっています。私は娘が何か言いたそうにしていたら、忙しくたって立ち止まって手を止めて娘の元へ行き、ちゃんと目線を合わせて話を聞くようになりました。こちらも一生懸命に聞かないと、何を伝えたがっているか分からなかったからです。
タイパコスパな世の中ですので、スムーズなコミュニケーションが出来る人こそ求められているかも知れません。私めも社会人の端くれとして、それを心掛けて仕事をしております。でも疲れるじゃないですか、先読みをして気を遣って。もうね、そこそこでいいなって思っています。すいません。お給料頂いておるのでやりますがね、私なんかより仕事が早くて優秀な人はたくさんいらっしゃいます。それよりも、相手の話を時間を割いてでもきちんと聞ける人に私はなりたいですよ。娘とも、そうやって信頼関係を築いていきたいのですよ。

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それからドライブに行かなくなりました。
いつ頃からでしょうか。秋には完全に行かなくなりました。割とスパッと。
1年以上、毎日毎日ドライブへ行っておりましたが、今は全然行きません。
学校の帰りなんかに『このままドライブ行く?』って聞くと、『行かない。それより帰る。』と言います。家で、動画を見たり、本読んだり、テレビ見たり、踊ったりしてる方が良いようです。ともすれば、普通のことです。なんと健全な過ごし方でしょう。

気になったので聞いてみました。
『最近、ドライブ行かないね。行ってもいいよ。息子お留守番出来るようになったし。』
『ああ、ドライブね。行かなくていいよ。あれ、幻聴に命令されてただけだから。』
『!?』
『私は別に行きたくもなかったんだけどね。ww~。』
『ww!!?』
なんと、コーピングだと思ってこっちは必死で連れて行っておりました。ストレスがちょっとでも減るなら、気分転換になるなら、そういう心づもりでおりました。
コーピング効果もゼロではなかったと思うのですが、納得することが出来るだけの何かが少しずつ重ねられたのではないかと、そんな風に感じました。

娘も私達も、この先まだまだドライブへ行くような勢いでしたが、幕切れはあっさりとしたものでした。でもそういうものなのかも知れません。ドライブに付き合うという腹を据え、なら出来るだけ快適にと準備を整え、行こう行こうと手招きしていると、逆に遠のいていく。恋愛のようです。様々な症状を振り返ってみても、同じことが言えそうです。症状に驚き戸惑い、こちらまでもが不安そうに取り乱していては、娘は安心出来ません。ともすれば馬鹿げている、付き合っていられない、勝手にやっていろ、正直に言えばそのようなことも多いのです。
病気になんてならなければ、それに越したことはないと思います。でも娘が病気になったが故に、知り得たことが超たくさんあります。私という、自分本位でのほほんとした人間が、ちょっとだけ逞しくなった気がするのです。

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