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本来プラスのはずの言葉がマイナスで使われるようになった【努力という言葉】

今回はネガティブな記事になりすみません。


いきなりですが、努力という言葉にどんなイメージを持ちますか?



少なくとも、自分は今までいいイメージをもっていました。


今までと言っていることから察する通り、今は完全にマイナスの言葉として受け止めています。


本来、できないことをできるようにするために努力するという行為があるんだと思います。


よく夢をかなえるために努力するという言葉を聞くように前向きで自発的な言葉のはずでした。




しかし、最近はネットを中心として罵倒の言葉に生まれ変わっています。よく見かけるのが、~できないのは努力が足りないからだろ!甘えるな努力しろというような失敗してしまった人を責める時に使われるようになってしまいました。


甘えと努力不足以外にも自己責任という言葉もよく人を罵倒するときに使われています。


甘え、努力不足、自己責任という3つの言葉を自分は、罵倒の御三家と呼んでいます。(勝手にそう呼んでいるだけです)



これら3つの言葉は本来人を責めるための言葉ではないと思うのです。



特に努力という言葉に関しては、自分が失敗してしまったのは努力不足だったから次からはもっと努力して成功するぞ!みたいな自分の行いを反省して将来の成長に繋げるためのプラスの言葉のはずです。



それがマイナスの言葉に生まれ変わってしまったことは残念でなりません。



あまりにもネット上で努力不足といって責めすぎると言われた方は、努力することに嫌悪感を覚える可能性があります。



例えば、出かけた先で怪我をしてしまったらそこの場所に対して嫌な思い出があるため、もうその場所に行きたくないと感じたことがある方もいると思います。いわゆるトラウマというやつです。



まさにこの努力についても同じことが言えます。



ネット上で努力不足と言われるとその努力という言葉に対してトラウマを感じてしまうので、なるべく努力するという行為から距離を置くということが考えられます。



自分が責められているわけではないのに、ネットの異常な罵倒の御三家の数々を見ていると心が痛くなります。



もう少し寛容な社会になればストレスを感じることも少なくなる気がするのですが。


みなさんはどう思いますか?



感想がある方はコメントしていただけると嬉しいです。もちろん賛成意見でも反対意見でもどちらも大歓迎です。


この問題はまた詳しく取り上げようと考えています。


ではまた!





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