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愛の理由(ハリー・フランクファート)

ソクラテス: 今日は、アメリカの哲学者ハリー・フランクファートさんにお越しいただいています。フランクファートさんは、自由意志や自己欺瞞に関する研究で著名ですが、「愛」についての考察も深く、多くの人々に影響を与えています。特に「愛には理由がない」という主張が興味深いです。通常、私たちは何かを愛する時、そこに何らかの理由があると考えますが、この点についてお聞きしたいと思います。どうして「愛には理由がない」とおっしゃるのですか?

フランクファート: ソクラテスさん、ありがとうございます。私の考えでは、愛というのは理性や理由で説明できるものではありません。むしろ、愛は私たちの根源的な欲求や感情に基づいて自然に生まれるものです。私たちは、愛する相手に特別な理由があって愛するのではなく、その人やものに対する深い関心やつながりを感じるからこそ、愛が生まれるのです。

ソクラテス: なるほど。愛は自然に生まれるもので、理性や理由が関与しない、ということですね。ただ、少し気になるのは、私たちが誰かを愛する時、その人の性格や外見、行動に引かれることが多いように思います。そういった「惹かれる要素」は、愛に関係しているのではないでしょうか?

フランクファート: その点はよく理解できます。確かに、私たちは愛する相手の性格や行動に惹かれることがあります。しかし、それはあくまで後から感じるものであって、愛の根本的な原因ではないのです。愛というのは、理由や特定の要素に基づいて起こるのではなく、私たちの内面から湧き上がるもので、愛した後でその人の特性に価値を見出すことがあるのです。ですから、理由は後付けで、愛そのものはもっと根本的なものなのです。

ソクラテス: 愛すること自体が先にあって、その後に相手の特性に価値を見出すようになるという考え方ですね。では、なぜ私たちは特定の人やものを愛し、他のものを愛さないのでしょうか? その選択には何か基準があるようにも思えるのですが。

フランクファート: それには、私たちの価値観や欲望が大きく関わっていると考えます。私たちは、自分が何に価値を見出すか、何に深く関心を持つかによって、愛する対象を選んでいるのです。愛は理性的な判断によるものではないにしても、私たちの内面的な価値観や人生観がその背後にあると言えるでしょう。愛する対象は私たちの生き方や価値観に密接に結びついているのです。

ソクラテス: 愛は私たちの価値観や欲望に根ざしたものであり、無作為に起こるわけではないということですね。とはいえ、もし私たちの価値観が変わった場合、その愛も変わることがあるのでしょうか? 例えば、ある時期に愛していたものが、時間が経つにつれてその愛が薄れることがあるかもしれませんが、これはどう説明できますか?

フランクファート: それはよくあることです。私たちの価値観や関心が変われば、それに伴って愛の対象も変わることは十分にあり得ます。しかし、その変化は、愛そのものが理性的にコントロールされた結果ではなく、私たちの内面的な変化に伴って自然に起こるものです。愛というのは、私たちの最も深い部分に根ざしているもので、価値観の変化に合わせて変わることがあるのは、そのためです。

ソクラテス: なるほど、今の説明は腑に落ちました。ところで、もし愛が私たちの意思や理性でコントロールできないものであれば、例えばその愛が自分にとって苦しみをもたらす場合、どう対処すべきでしょうか? 理性的にその愛を抑えることができるのか、それとも別の方法を考えるべきなのでしょうか?

フランクファート: それは難しい問題ですね。愛は理性的な判断によって抑制できるものではないので、完全にそれを止めることは難しいでしょう。しかし、私たちは理性を使って、愛から来る苦しみや影響に対処することができると思います。つまり、愛そのものは抑制できなくても、愛がもたらす苦しみや負担をどう受け止め、どう対応するかを考えることはできるのです。理性が愛を評価し、私たちの行動を導く一方で、愛そのものは私たちの制御を超えていることが多いのです。

ソクラテス: 理性が愛の影響を評価し、それにどう向き合うかを考えるということですね。それでも、愛そのものは抑えきれない部分があるという点は納得できます。愛は私たちにとって非常に強い感情であり、それを完全に理性でコントロールすることは難しいでしょう。ただ、愛が私たちの生活や幸福にどのように影響を与えるのかをもっと深く考える必要があるかもしれません。これからの課題として、愛と理性のバランスや、その影響をどのように最適に調整していくかを、より探求していくべきだと思います。

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