見出し画像

徒手療法を極めたいと思ったら、どうしたらいいかをツラツラと考えてみた

拝啓、師匠どの
不肖、私も最近「弟子になりたい」という声をかけられることが続きました。先週、今週と2人の方から言われています。

そこで、かつての自分がそうだったように、どうやったら徒手療法が上手になるのか?をテーマにnoteを書いてみます。

師匠に師事する

私はこれまでに、幸運にも3人の方を師匠とすることができました。
そのうち最初の先生とは疎遠になっていますが、
ほかのお二人とは今も指導を受けるご縁をいただいています。

師匠につくメリット

最初についたのは、指圧の師匠でした。
そもそもユニークかつ我が道を行く人が多いこの業界で、H先生はかなりのレアキャラでした。
名人にはそれぞれ特有の雰囲気がありますが、最初の師をひと言で表すと「ブッ飛んでいる」
この表現がピッタリと当てはまります。もちろん、敬意を込めて。

髪の毛は紫色でパンチパーマ。
身長は160cm台と小柄ですが、オーラの大きさがハンパない。
遠くにいても、近づいてくるのがわかる。
…そんな師匠でした。

当時の私は専門学校に入ったばかりで業界のこともわからず、ただ名人に師事したいという一念でした。
よい師匠に師事することがもっとも大事。
それはひとつの真理です。

「3年待っても正師につけ」と、H先生は言いました。

スポーツもいいコーチにつくと急激に成績が伸びる選手がいます。
師匠やコーチから習うことが、その後の結果を左右する。
初学者の段階では手探りであれこれ試して道を迷うよりも、
師につくことで基礎を身につけ、一定レベルまでのショートカットができます。

そして、師匠について言われたことをしっかりやっていれば、
いつか同じようになれると信じて疑いませんでした。

さて、これのどこに過ちがあるでしょうか?

名人の技は盗めるか

最初に師事した師匠からは、指圧の基礎を叩き込まれました。
昔気質の先生でしたので、なかなか教えてはくれません。

「自分で気づくのを待つ」

よく言えば、そういうスタンスなのでしょう。
令和の時代では、とても待ってくれそうにありません。

現代は、体系化されたマニュアルをいかに効率よく身につけるか。
徒手療法も商業ベースに乗っかると、生産性が求められます。
しかしそれは、武術や徒手療法の極意に当たる部分については不可能と感じます。

自分で気づくのを待つ、ということは教える側の師匠にとっても欠かせない考え方です。
試行錯誤ののちに気がつくことで、その先に技術を再現できる世界があります。簡単に教えたら、次の困難に遭遇したときに自ら道を切り開くことはできない、とも言えます。

そして、治療の現場は決まった答えのない現象の連続です。
自分の手で感じて、アタマで考えてチャレンジしてみることを、
最初の師匠は何も言わないことで教えてくれました。

徒手療法を伝えることの限界と可能性

この先生についていれば、同じような技術が身につく。
それはあながちウソではありません。

しかし比べるのもおこがましいのですが、
名人と私では身長や体重、育ってきた家庭環境や時代の背景も異なります。
まったく同じ技術が身につく(または盗める)というのは無理があります。
かくして、名人は一代限りと言われるようになります。

それならどうやって、技術は伝承されるのでしょうか。
書や絵画など芸術の類は伝統を脈々と繋いできました。
それは、師を越えるという飛躍によって成し遂げられたものではないかと思います。

師匠とまったく同じようにはなれない。
まして道具を使わない徒手療法は、
一人ひとり手指の大きさ、身体の感覚が異なります。

日本の芸道の世界には、守破離(しゅはり)という言葉があります。

守は、師匠から教えられた型をひたすら身につける段階
破は、試行錯誤して型を越えようとする段階
離は、型を手放して自らのオリジナルを醸成する段階

守の段階では、師匠は欠かせない重要な存在です
破の段階では、ともに切磋琢磨する仲間が必要になります
離の段階では、自分に向き合って自らを律する世界観が構築されます

私は徒手療法に出会って、20年になります。
この守破離の過程を踏むことが、徒手療法を極めるひとつの道のりと思うに至りました。
…とは言え、私自身もまだまだ道の途中。

師匠と同じ方向を向いて、この道を歩んで行きたいと思います。


physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。