【エッセイ】 やった感。
最近、本が読めていません。読もうと思って時間を作っているのに、集中力が続かないというか、色々なところに興味が移ってしまって。読み終わる前に次なる本に手を伸ばしてしまうんです。こういうことって、よくあることなのかしら。
これが恋愛だったら最悪だよね。乗り換え乗り換え乗り換えだもの。イヤ、二股、三股、四股、五股ってやつか。ハタから見ると破滅的だけど、相手が本だと話は変わる。本だと許されてしまう。いやいや、許すも許さないも通用しない世界ですからね!
読みかけにして放って置いてもワインみたいに熟成はしません。ページは読んだところまでで、そのまま。読み進めるには自分がページをめくるしかない。昨日までは10ページ読んだけど、今日開いたら25ページだった、なんてことはない。あっても困る。
相手は本であり紙だから、文句を言われたりもしません。「もっと読んでくれ」とも言わなければ「放って置かないで」とも言わない。そのへんは、ずいぶん気楽なもんだなあとも思ってしまいます。でも、読み切ってないせいなのか、読んだ感がなくて。それはそれで消化不良なんですの。
この「やった感」って、けっこう大事。
どんなことでも「やった感」があるだけで、生活の満足度って上がると思うんだよね。仕事でもなんでも。「今日はこれだけやった!」という、その感覚ね!
別に大した成果がなくてもいいのよ。この「やった感」さえあれば。だから「やった感」を設計してあげればいいんだろうね。例えばnoteだって、書けば「書いた感」が生まれる。更新ボタンを押せば、「やった感」が生まれる。それが大切だったりするのかもねえ!
映画とかもそうなのかもしれない。つまらなくても時間が過ぎれば映画は終わる。だから「みた感」が得られる。無駄だったなあ、とか、内容に不満を抱えることはあっても、それは「みた感」があるからこそ感じること。たぶん、ちょっとは満足してる。
そう考えると、本を途中までしか読んでいない状態って、めっちゃ気持ち悪いはずですよねえ。でも、ウチ平気な顔してほっぽり出してる。なんなら新しい本を購入しちゃってるしね。感覚が抜け落ちてるのかしら・・・。
でも、その影響なのか、最近、うち、なにに対しても「やった感」を味わえていないんです。とんだツケが回ってきてる。ずっと消化不良状態。なにもかもがずっと「続いている感」がある。終わらないんです。区切りがつけられないというか。なんというか・・・。人生って感じ。
やった感は、区切りをつけてくれるらしい。
なにを書いているのか意味不明。
でも、これでも「書いた感」はある。
やった感で、今日も区切る。
誤魔化す。
あはは、ふふふ。
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