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自然に帰りたい。


 都会の喧騒から離れた生活が続いた。川に入って魚釣りをしたり、森へ入ってヘンテコな虫を捕まえたり。夜は、家族や友達と一緒にBBQ。みんなで準備をして、みんなで片付ける。当たり前のことを、当たり前のように行い、スマートフォンを開くときは、Googleマップをみるときだけ。もちろん、SNSなども全てシャットアウト。仕事や時間に追われる日々から抜け出した生活だった。


 大自然と接して、初めてボーッとすることができた。厳密には「なにも考えない」ことはできないんだけど、頭の中の言葉が全然ちがった。


「釣った魚をどうやって食べようか」
「虫たちは、どんな生活をしてるんだろうか」
「やっぱり太陽のエネルギーは偉大なんだな」


 なんてことを、自然を目の前にしながら考えていた。そこに人間が現れなかったのだ。今が何時なのかも分からずに、ただゆっくりと流れていく空気に身を任せながら生きていた。自分の体の赴くままに自然と触れ合っていた気がする。


 最初は魚も虫も怖くてたまらなかったのに、あっという間に彼らとの距離も近くなった。生きていくために彼らは必要であり、彼らにとってもウチらが必要になるときもあるのだと気づくことができた。

 そんな大自然での生活から元の都会の生活に戻ってきて、自分の中でなにかがノッキングを起こしている。人と触れ合っているはずのに、キャッチボールをしているはずなのに、それら全てが「ごっこ遊び」をしているように感じてしまうのだ。これは、どうしてだろうか。


 もちろん全ての人に当てはまるわけではない。でも会話の多くが仕事の話や、話題のニュース、映画の感想についてなどばかりで、そこに「自然」の入り込むスキマはなかった。それがとても息苦しくて、大勢の人の中で生きているはずなのに、とても虚しい気分になってしまったのだ。


 それでも、時間とともに、今感じている違和感も消えていくのだろう。まんま
とウチは都会の生活に溶けていき、自然を忘れていくんだと思う。だからこそ、こうして書き留めておく必要があると思った。


 しばらく「書く」こともしていなかったが、今、こうして書いているのは、やっぱり楽しい。ここに自然はどこにもない。目の前には、発光する画面とキーボードだけがある。でも、言葉として自然を描くこともできたりする。


 ウチが歩いた山道は、整備されているといっても、道幅が非常に狭くて50センチほどしかなかった。左右には湧水を十分に吸った元気な植物が生い茂り、カールを巻いた茎が視界を塞いでいた。かき分けるようにして前へ進み、倒れた木をまたぎ、湧水でできた水たまりをジャンプした。


 無言で歩く。胸の中では「もう帰りたい」と呟いているのに、足がグングン進んでいく。サラサラと音が聞こえる。この先に、川がある。そこで休もう。そして、魚を釣ろう。テントを張って、握ってきたおむすびを食べよう。頭の中に穏やかな景色を想像しながら、ひたすら進んだ。

 しかし、たどり着いた川で魚は釣れなかった。どれだけ粘っても当たらない。けっきょく、石の上に座り、川のせせらぎに耳を澄ます時間を過ごした。初めて聞くような鳥の声がした。ここには、たくさんの生命が息づいているんだと思った。

 自然の中に帰りたい。


 ターザンみたいなことを思いながら、スタバでキーボードを叩いている。 


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