見出し画像

心と体を守るために、これだけは死守するんだ…!

3〜7月、約5ヶ月弱の心身の不調で身に染みたこと。1864文字

死守すること3つ

1つ目、夫との夕食

夫と食べる夕食は、他の何でも代用できない、温かさを感じる時間。私にとって、1日の最大の楽しみだ。

1日の終わりに、楽しかったことや感謝を日記に書いているのだが、この日記を振り返ると、夫との夕食がいかに大切かわかる。無自覚だったが、ほぼ毎回、夫との夕食に言及しているのだ。

重要なのは会話ではなく、夫と食事の時間を共有すること。

なぜこんなにも温かい気持ちになるか考えてみた。

・スーパーで美味しそうな食材を吟味して調達してきてくれたこと
・夕食を作ってくれたこと
・一緒に食べられること
・染み渡る美味しさを感じること
・美味しさを全力で伝えたくなること
・変わらない安心する日常が続いていることへの感謝

夕食を一緒に食べるだけで、これらの思いが増幅される気がする。ほっとする。


逆に、残業続きで1人の夕食が続くと、仕事をしていること、生きていることに意味を感じられなってしまう。

2人で生きることを選択して、暮らしを維持する(+達成感等の)ために仕事をしているのに、仕事によって生活最重要事項が阻害されることに、どうしようもなく悲しくなってしまうのだ。

夫の記事にもあるように、日中は互いに自由に行動している。だから「食卓を囲むこと=夫との暮らしを感じる瞬間そのもの」なのかもしれない。

あぁ、今日も仕事が終わらない…
本当は今日中に終える予定だったのにな…
もっと早く着手してたら、もっと集中してやったら終わったのかな…なんて思う日がほとんどだけど。

その場その場のベストが今なわけで。林(たくさんあるタスク)を平地(完遂)にはできなかったけど、確かに木の伐採は進んでいるわけで。

何はともあれ、夫との夕食は、睡眠/食事/排泄といった生理的活動意外で、最重要事項。だから、今日も勇気を持って仕事を切り上げる。

今日は大丈夫なんて油断して残業してると、また、仕事も生活も手につかないほど、辛い思いをしちゃうからね。


(余談)
・一人暮らしで1人で夕食を食べるのは問題なく、特に寂しさを感じた記憶もない。今も意図的な1人ご飯は楽しんでいるから、不思議なものだ。
・私にとっての「夫との夕食」と、夫にとっての「修学旅行の夜(≒寝る前のおしゃべり)」は似たポジションなのかもしれない。


2つ目、たっぷり寝る

睡眠時間は削ってはならない。6〜7時間でも結構しんどくて、理想では毎日8〜9.5時間くらい就寝していたい。

寝不足に良いことはない。

気力や集中力が著しく低下→肉体的にしんどい状況の中、無理をして、無理をしても思うようにいかないから、精神状態も悪化→気力低下…と悪循環になってしまうのだ。

極め付けは、偏頭痛。寝不足は偏頭痛の大敵だ。

気持ち悪くなるは、目を開けるのは辛くなるは、上体を起こしているのが辛くなるは…偏頭痛は懲り懲りだ。。


疲れていると睡眠までの行動のハードルが一気に跳ね上がる。寝ないといけない時に限って、布団が遠い…

お風呂や食事を急かしてくれる夫には、感謝しかない。


3つ目、しんどくても食べて寝てれば死にやしないさ精神

精神的に辛くなってくると「この状態をとにかく抜け出したい、でもどうすれば良いのか見当もつかない、もう抜け出せないんじゃないか…」なんて思えてくる。

不調を見つけて、原因らしきものを探しては落ち込み、うまくいかない状況を嘆き、自分で自分をえぐっては、ずぶずぶ沼にハマってしまう。

本当は、蓄積した疲労、ホルモンバランスや自律神経の乱れが原因で落ち込んでいるかもしれないのに、理由がわからないことや、しんどさを説明できない辛さから、飛びつきやすい原因(例えば仕事や自分の特性)のせいにしたくなってしまう。


でも、栄養のあるご飯を食べて、寝ていれば、人間死んだりはしない。

理由もわからず辛くても悲しくても、理由を認めたくなくてもがいても、そんな中でも生きていられるのだ。

どんなに辛くても食いしばって頑張れば成長できる!!!
原因を言語化して解決策を見つけて立ち向かおう!!!
なんて躍起にならなくても良い。

あぁ、強い嵐がまたやってきた…。
と俯瞰してみると、ちょっとは楽になる。

自分で自分をえぐって、嵐に加えて雷や強風を呼び寄せるより、嵐のピークは小屋の中で食べて寝てやり過ごそう。

嵐には立ち向かわないで、ピークが落ちつきそうな頃からあれこれ改善活動(体を動かしたり、日に当たったり、弱音を吐いたり、本やYouTubeで学んだり癒しをもらったり)をしても、きっと遅くはないはずだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?