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月間Yutong Sun 4月号ーあえてショパコン2nd round

ヴァン・クライバーンのインタビューで推しを散々リピっておきながら
沸き起こる”たのむ…新ネタをくれ…”という渇望感。
もちろん、今月も過去ネタで切り抜けていく所存です!

2021年ショパン国際ピアノコンクールSecond roundを振り返ります。

曲目も貼ります
Ballada As-dur op. 47 / Ballade in A flat major, Op. 47 (0:04) Walc As-dur op. 42 / Waltz in A flat major, Op. 42 (8:13) Polonez fis-moll op. 44 / Polonaise in F sharp minor, Op. 44 (12:27) Scherzo cis-moll op. 39 / Scherzo in C sharp minor, Op. 39 (24:26)

あの日、ユトン堕ちを爆誕させた渾身のポロ5!
実は、あの演奏が聴けなかったかもしれないということを
昨年、手記原文を教えていただいてから知り、衝撃を受けました。
ご本人が公表していることですが、あまり知られていなさそうなエピソードを大々的に拡散することも憚られる…と思っているうちに、はや数ヶ月…
ひっそりと(そして雑に)訳してみました。(ほんとに誤訳多いかも…)

 二次予選前日の午後、私は電動自転車でピアノ練習室に向かっていました。突然強い力で跳ねられ、目の前が真っ暗になりました。気付くと地面に倒れ、人に囲まれていて、起きようとしても体が思うように動きませんでした。まず、頭の中に最初に浮かんだことは「私はショパンを弾けないようだ。ショパンを見失ったようだ」ということでした。
 体はあまり動きませんが、頭ははっきりしていたので、周りの人達が2メートルほど離れた所に停まっている白い車を指して「彼があなたをはねた。
彼に病院に連れて行ってもらい、補償してもらいなさい」と言っているのが聞こえました。
 しばらくして、起き上がろうとするとゆっくり起きることができました。
明日はコンクールなのにこんな出来事に巻き込まれてしまった、練習室でピアノを弾かなくてはと人混みを抜け出し、心の中では練習室に行かなければと思っているのに、体は意に反してホテルに帰ってしまいました。実際、練習は不可能でした。
 ホテルに戻ると、足に大きな青あざができていたことを除けば目立った外傷はありませんでした。しかし、呼吸をすると肋骨に強い痛みがありました。このような状態では明日は舞台に上がれないかもしれないと怖くなり、すぐにコンクールの組織委員会にメールをしました。その後すぐ、組織委員会のスタッフから「部屋で動かないでください、すぐにあなたを検査に連れて行きます」と電話がありました。
 組織委員会が呼んだ救急車で一連の検査を受けた後、医者が「あなたはとてもラッキーです。筋肉と組織の傷を除けば、重要な問題はありません。数日静養すれば回復するでしょう。」と言いました。その結果を聞いた私は嬉しくて、組織委員会のスタッフに「一晩寝たら大丈夫です。私はコンクールに参加できます」と言いました。
 コンクール会場の2日目、舞台の上の暖かい光に包まれて、私は思わず心の中で静かにショパンに言いました。「あなたは私が無事に舞台に立てるよう守ってくれた。私はあなたのために、心の中にあるあなたの作品を演奏します」
 私はここがコンクール会場だということをすっかり忘れていました。ピアノの音が壮大なワルシャワフィルハーモニーホールに響き渡り、舞台の下には審査員や数百人の聴衆がいるというのに、自分とショパンのために演奏されるプライベートコンサートのような感覚でした。
 40分間の演奏中、私と音楽は一体化していました。これは音楽の魔法かもしれませんが、最初の3曲目までは体の痛みを完全に忘れていました。 
ポロネーズの演奏後、疲れて深呼吸をした時、体の左側に鈍い痛みを感じました。呼吸をゆっくりうまく調整し、最もよい状態で演奏を続けることができました。(幸い、私の体はすべて回復しました。親戚や友人に心配をかけたり、コンクールを途中で打ち切られてしまうことを恐れて、これまで話すことができませんでした)

先日のルービンシュタインコンクールで、日本人コンテスタントのお二方が移動に電動スクーターを使っているとお話されていたのを聞き、推しのこの件を急に思い出しました。

推し、2nd前日に事故っていたんですね…大事に至らず翌日演奏できたこと、その後、身体に影響が残ることがなくて本当に良かったです。
あの多くの人を虜にしたポロ5の裏、コンクールということを忘れて神がかったような渾身の演奏を聴かせてくれたこと、配信ながらも、聴衆としてあの日リアタイで聴けたことは奇跡だったのかもしれません。

このエピソードを知った後のショパコン2nd、また格別なものになりました。スケルツォに入る前の表情、左足を動かす度に痛みを感じていた可能性も?…などと思うにつけ、あの日、舞台に上がってくれて本当にありがとう!と思わずにはいられません。

新しいレパートリーはもちろんだけど、やっぱりポロ5はいつか生で聴きたいです!

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