「新しい生活様式」から考える言葉の魔力

「新しい生活様式」なる言葉が世に生まれてから、約1ヶ月がたつ。

緊急事態宣言の段階的解除が始まったこともあり、ここ最近ますます耳にすることが増えた。「新しい生活様式の実践例」、などという言い回しも目に付く。


初めてニュースで聞いたときから、とても違和感があった言葉だ。

直観的にまず思ったのは、

「生活様式って、作ろうと思って作れるのか?」

と、

「『生活様式』の『実践』ってコロケーション、気持ち悪い」

だった気がする。


しばらくたって、この言葉に対する当初の直観について、もう少し考えた。

生活様式は作ろうと思って作れるものではないのでは、という点に関しては、絶対に作れない、必ず自然発生的なものである、とは断言できない気がした。この度の例を借りると、前後に余裕を持ってレジに並ぶ、食事中は会話を控え料理に集中する、などといった行動を意図に継続していった結果、(仮に)後々当たり前の文化として根付いていったとする。これは、人間の意志によって生活様式を新たに作り出したと言って良い範疇であると思う。生活様式に限らず、建築であれ絵画や音楽であれ、複数の事物(行為、作品 etc.)に共通した何らかのスタイルが見出されれば、起点が意図的であれ自然発生であれ、それは「様式」として認められると考えていいように思う。

また、「生活様式」の「実践」というコロケーションも、このご時世に至るまでこれほど頻繁に使われたことが無いのは確かだろうけれども、誤用だと突っかかるほど無理があるとは言い切れないかもしれない。先に挙げた音楽の例ならば、ソナタ形式による作曲の実践、などと言うことは多分不可能ではない。これに倣うと、強いて言えば「生活様式による生活の実践」と言った方が正しいのかもしれないが、見ての通り重複が不格好で、やはり「による生活」は省いた方がまだ馴染むのだろう。


だが、やはり何か気味が悪い。

この言葉の気持ち悪さは、どこにあるのだろうか。


たとえば、この度の「生活様式」の提言が、次のような言い回しだったら、私はそこまで違和感を持たないように思う。

「新しい生活様式を生み出す」

「新しく生活様式を作り出す」

後者は「新しい」を副詞化しているので、「生活様式」ではなく「作り出す」を修飾しているが、大きく意味は変わらないと言って良い。いずれにしても重要なのは、この度の「生活様式」は、今から生まれるもの、すなわち今はまだ存在しないものだということである。余裕を持ってレジに並ぶことも、食事中の会話を控えることも、文化として、「生活様式」として今確立しているものではない。目下「様式」化しようとしているにすぎないのだ。


私の違和感は、この「生活様式」は「まだ存在しない」というニュアンスがいつでも薄れかねない形で、「新しい生活様式」という言葉が世へ生み落とされてしまったことにあるのではないか。


たとえば、「新しい家」「新しい商品」と名詞(名詞節)だけ言い表したときに、人々が思い浮かべるイメージは恐らく2通りある。

1つは、「新しい家を建てよう」「新しい商品の開発」といったように、これから生まれる、まだ存在しない「家」や「商品」のイメージ。

他方、「家」や「商品」が既に「新しく」生まれてしまった、というイメージ、すなわち過去に比して「新しい」、しかし今既に存在する「家」「商品」のイメージを抱いた人もいないだろうか。「新しい家に引っ越しました」「新しい商品の宣伝」といった形で使う場合がそれに当てはまる。

このように、「新しい○○」という表現それ自体は、未だ無い物を示すことも、現に実在する物を示すことも可能なのである。


これは、例に漏れず「新しい生活様式」という言葉にもついてまわる現象である。おそらく、私が最初に感じた「作れるの?」という違和感は、今正確に言い直すならば

「何でもう在ることになってるの?」

だったのではないかと思う。個々別々の行為の羅列でしかないものたちが、いつのまにか生活の「様式」として、既に「新しく」世界にあるかのような印象を、無意識に受け取ってしまったのではないか。これらの行為の集合は既に確立した、権威ある「様式」だ、という前提が、勝手に突きつけられたような感覚が、気持ち悪さの要因だったのではないだろうか。


とは言え、「新しい生活様式」それ自体なら、もう一方のこれから「新しく」生まれるイメージも同様に表しうる。というかむしろその意味が適切なのだろう。もっと違和感無く受け止められたかもしれない、と先に述べた、「新しい生活様式を生み出す」という使い方のように。

しかし、私たちは今、実際に「新しい生活様式」という語をどのような文脈で耳にしているか。「新しい生活様式」で検索すると、ざっとこのようなコロケーションが目に入る。

・「新しい生活様式」の実践例
・「新しい生活様式」を公表しました
・「新しい生活様式」対応の感染防止策
・「新しい生活様式」を取り入れよう
・「新しい生活様式」の定着

どれにおいても、「新しい生活様式」があたかも現に存在するかのように使われている。当初の違和感の2つ目、「生活様式の実践」というコロケーションへの違和感は、ここで言う「生活様式」が本来は「まだ無い、これから生まれる」という意味で「新しい」ものだからこそ、既存のものに使うはずの「実践」という語とのちぐはぐさに対して生じたものだったのである。


言葉には、様々な力がある。元々不可分な心理や感情に対し、「喜び」「怒り」といった言葉を宛がうことで仮に分割して、把握することができる。コードが共有されていれば、「鉛筆拾ってもらえる?」「この先立ち入るべからず」「お茶はいかが?」といったように、他者の行動を促すことができる。

そして、言葉で名付けることで、またそれを使うことで、何かを存在させることができる。

「新しい生活様式」という言葉の誕生とその使用を通じて、私たちは、言葉が時に実在しないものをも存在させる力を持つこと、その力の強大さの証左となる現象に立ち会ってしまったのではないか、と思う。

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