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おじいちゃんと岡本太郎

アルバム制作日記

昨日から地元神戸に戻り、実家の姫路に帰った。
神戸に戻る際は両おじいちゃん、おばあちゃんの家に挨拶しに回る。
最近テレビに出たりした影響で、テレビで見たよ!という喜びの顔を見れるのは率直に嬉しいことだ。

今日は母型の祖父の家に行って、話をした。
祖父は厳格でありながら優しく、男気もある昭和の理想的な男像であった。一度やると決めたら徹底的に努力をする自分に対する厳しさをもった人でもあった。歯医者を引退後は趣味の写真をやり、何度も地元姫路で賞を受賞していた。

数年前から祖父は脳卒中で倒れてから、言葉があまり話せない、手も器用に動かせない。
昔のように論理的にバシバシっと!なにかを語る事もなければ、ただいまは優しく笑っている。とにかく私が家に来ると、永遠に甘いものを出してくる。

私がトイレに行くついでに、祖父の部屋に入ると、岡本太郎の芸術論や、当時のアート史などの分厚い本がたくさんあった。
そこにはおびただしいほどの付箋が貼られており、いかに祖父が写真家として、アートとして写真を位置づけ、当時のアートや芸術論を意識し、影響を受けていたかが伺える。

そして、祖父が自分の写真集を出していたことを知る。

なんとも言えない感慨深い気持ちになった。
あとがきの部分では、今は脳内のどこかに眠っている祖父の自然や人間に対する理論的な省察があり、特にその昆虫に対する意識は驚くほどに本質的な分析であった。

祖父の制作に対する態度や意識は、なんとなく自分に重ねる事が出来た。でもそれでも、あまりに恐れ多い。

祖父には無意識のテーマがある。
それは自然と地元姫路というテーマだ。
写真の多くは姫路のテーマに沿っており、姫路の風景や人々の営みを撮っている。素朴であり美しく、何よりも非常に慎ましいのだ、

私はにはそのような、故郷を撮ろうとする心はない、郷土に対する深いリスペクトもない。強いて言うなら日本に対して漠然とあるが、それは今日の現代人ではなくこれまで日本を作ってきてくれた志高き人々に対してだ。

その時点で私はすでに祖父には勝てない。
地元や郷土の歴史を受け継いでいないからだ。

私はただ今日的なネット世代の感覚だ。
いろんなものが見えるようになり、灯台下暗し状態になり。自分たちがどこから来た何者なのかという意識ではなく、無意識的なアイデンティティーは存在しない。
しかし、それでも自分が何者でどんな血を継いで生きているのかという過去への回帰を行うのは無意識的なアイデンティティー喪失に対するコンプレックスなのかもしれない。

私は一体何者なのかということを考えるとき、私は一体どこからきたのか。ということを同時に考える。遺伝というものは確実に存在し、隔世遺伝として祖父母から受け継ぐものも多い。

私が小学生の頃、テレビを祖父と一緒に見ていた。ある日テレビに上半身裸の女性の絵画が写り、私は恥ずかしいという顔をした。
すると祖父は『なにが恥ずかしいんや。しっかり見なさい。』と言って私を叱った。

そのような事も今思えば彼のアート感覚、自然なものに対する尊敬の念を表していたのかもしれない。

祖父が脳卒中になる前にもうすこし早く、祖父とアートについて話したかった。芸術について語りたかった。私に後悔という概念はないが、もうすこし早く芸術論をやっていれば祖父の事を変に美化せず知れたと思う。

私は彼が今言語化できる事や、その雰囲気から彼の芸術論の系譜を探り、可能であれば継ぎたいと思っている。

現在アルバムを作っている、私の芸術感を祖父はなんと言うのだろう。なんと批判してくれるのだろう。祖父が生きている間に、多くの作品を見せたい。これは圧倒的な私のエゴであるが、その作品を媒介して自分の過去、ルーツそのものと交流できるならそれでいい。

家族関係の問題が叫ばれる現代に、祖父に対してこのような感情を抱く事ができた事自体が非常に幸せな事だ。

なぜか込み上げてくるこの涙は取っておいて
すべて創造にぶつけてねじ込みたい。

現場からは以上です。


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