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優しさと冷たさは同居する。

優しさと冷たさは同居しうる。
言葉にすれば当たり前にありそうなことなのに、これまでそういう感覚はなかった。
優しい人は暖かいのだと思いこんでいた。なぜか。

あの人は最初から優しい人だった。
仕事で接する患者さんたちにもとても気を遣っていて、いつも明るく優しかった。検査で緊張する患者さんにも、体調の悪い人にも、ちょっとした冗談で心を和ませながら接していた。
周りの誰に聞いても、あの人は優しいよ、と言っていた。
職員同士の間でも、冗談を言って笑わせたり、元気のない人がいれば大丈夫?と声をかけて話を聞いたり。

初めて独り立ちして行う外部での仕事とあって、不安と緊張の中にいた私に対しても、それをほぐすようによく話しかけてくれた。
内容は日常的な雑談や、自分の周りであった普通の四方山話。あんな食べ物が好き、とか、昨日娘がこんなことして、とか。嫁さんの誕生日だから花とケーキを買いました、とか。前の職場でこんなことがあったんですよ、なんていう笑い話ネタもよくしてくれた。
二人でいく移動の車の中ではいつもケタケタ笑っていたっけ。

優しい人だから暖かい人なのだと、勝手に思いこんでいた。

二人で仕事に行かなくなって、むしろそれから突っ込んだ話もするようになって、その人の冷たさに気がついた。
こちらのことに興味を向けない。こちらの話を聞かない。聞いても反応しない。反応してほしい、と言えば、どう反応したらいいのかわからないんです、と言う。
わからないなら、訊けばいいのに。それが対話、コミュニケーションというものなのに。わからない、のところで止まって、その先に進もうとしない。
冷たい。
他者への興味が薄いんだ。

でも、やっぱり優しい。
相手が喜んでもらえるように、笑顔になってもらえるように。そう望んで行動しているのが伝わってくる。
行動は間違いなく、優しさに立脚している。
その裏にある心理が、他者に対するあり方が、冷たいだけ。
目の前の人が笑う、楽しそうにする、そのことがその人の望みであって、笑顔の裏で何をどう感じているかには興味がない。どんな相手にでも同じように優しく接する。仕事上の商売相手でも、ただ同じ仕事をする同僚であっても、その人と親しくなりたい、もっと近くなりたい、その人「自身」と出会いたい、と思う人間でも。
冷たい。

そこまで懐に入り込まなければ、みな、その人の冷たさに気づかず終わるだろう。
優しい人だね、で終わるのだ。
私も、それで終われたらよかった。
あの人って優しいね、うんそうだね、って心から言えたから。

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48歳まで平穏に順風満帆の人生を送った。その後にさまざまなものに出会いすぎた。