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50歳、折り返しを過ぎて、なおも明日はやってくる。

「あのね、四捨五入して100歳になったよ!」
そう言うと、大抵の人が笑ってくれた。
最初は怪訝な顔をした人でも、
「これであと100年は100歳のまんまでいけるしね」とつなげると、
「どこ(の桁)を四捨五入してるんですかっ」
と、合点して笑ってくれる。

50歳。
キリのいい歳だな、と十進法で育った私などは思う。
十二進法の感覚なら60歳、還暦のほうがすっきりするのかもしれないけれど、還暦ではあまりに歳を喰いすぎる。
女に生まれたから、というのもあるかもしれない。いわゆる更年期真っただなか。女という性に絡みつくいろいろな憑物を落とし、生まれ変わるにはちょうどいい。

よく聞く話だが、子どものころには、50代というと、もう、おばちゃんを通りすぎて、おばあちゃん、というイメージだった。
もちろん平均寿命が延び、定年が60歳、場合によっては65歳となり、まだまだこの歳は働き盛り、という令和の時代。昭和と今はまるっきり違う。
ただ、それを加味しても、50歳というこの歳の、なんと幼く未熟なことだろう。
と、自分自身の内面を通して、しみじみと感じるのだ。
50歳の声を聞くころ、人生で初めて体験したこともたくさんあった。自分自身の心の中で起きた変化に戸惑うことも多かった。

一方で、もう何も変わらないでほしい、新しいことは起こらないでほしい、このままゆっくり、穏やかに死ぬまで過ごしたい、と思うことも少なくなかった。

20代、30代のころは、明日がくることが楽しみでしょうがなかった。明日はどんな新鮮なことと出会えるのだろう。今までなかった体験ができるのだろう。これまでなかった変化が自分に起こるのだろう。そういった「新しさ」「未知」は、希望を孕み、さらなる楽しさ、喜び、ポジティブな光をもって、自分の前に転がっていた。道端の石ころのように、当たり前に。
今の自分は、明日がくることが怖い。
明日、今まで知らなかったこと、体験してこなかったこと、気づかなかったことに遭遇するかもしれない。
それらは、今まで経験しなかった、したことのなかった苦痛、喪失、不能、落胆、寂寞を連れてくるのかもしれない。いやきっとそうに違いない。楽しいこともなくはないだろうけれど、それよりももっと、あるいはそれと同時に、ネガティブな闇を引き連れてくるに違いないのだ。
そう感じるようになったのが、年齢のせいなのか、それとも自分が経験してしまった大きな欠落のせいなのか、わからない。
ただ、これが例えば30歳だったら、ここまでネガティブに考えはしていなかっただろう。

50歳は、きっと、喪う日々の始まりなのだ。
得るものよりも、喪うもののほうが多くなる、その折り返し。
せめて、その記録をつけてやろうではないか。なにを手に入れて、なにを失くすのか。
人生90年としても、もう半分以上は終わってしまった。例え生き延びたとしても、80代、90代はサスペンデッドタイムであることは承知している。

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48歳まで平穏に順風満帆の人生を送った。その後にさまざまなものに出会いすぎた。
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