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目の輝きが蘇ったJリーガーの話

第3話 見習いと同じ釜の飯を食う

初回の筋肉チューニングの後しばらくの間、彼の調子は上がらなかった。それもそのはずで、チューニングスペシャリスト2人による180分間の筋肉チューニングで體全体の筋肉が弛緩されて感覚がずれていたのだ。シーズンも終了間際で彼が再びピッチに立つ可能は極めて少ない事から決断したセッションはそれだけ効果絶大だったという事だ。もちろん、これは予想通りの展開だったので私は慌てる事もなく彼に状況を説明し、焦らずプレーをアジャストさせるよう伝えた。

ランニング能力を高めるためのトレーニングを開始して1ヶ月が過ぎた11月下旬の彼のVO2Max(最大酸素摂取量)は58ml/kg/minまで増加していた。当時の私のVO2Maxは57ml/kg/minだったのでほぼ同レベルだったが、走力が求められる競技のプロアスリートなら65は欲しい。彼には65を目指すように指示しトレーニング強度を徐々に高めていった。有酸素能力は十分高くなっていたので、ここからは心肺機能に高負荷がかかるインターバルトレーニングや坂道ダッシュを増やしていった。また、筋拘縮が増えやすい筋肉トレーニングやストレッチは極力避けてもらい変わりにジャンプトレーニングを増やした。連続ジャンプは心肺機能と筋伸縮に負荷がかかるのでボールを使いながらや、ただ単にアンクルホップなど自重でジャンプするのもおすすめだ。

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この選手の体成分分析の一部

2021年12月3日に最新の体成分分析の結果が送られてきた。体重が0.8kg減で体脂肪は1.5%減。一方で筋肉量は0.3kg増とほぼ変わらなかった。1ヶ月半の集中的なランニングトレーニングで狙い通りの結果が出たのだ。体脂肪は重要なエネルギー源ではあるが競技によって適正値があるのは間違いないだろう。考え方は専門家によって様々あるが、私はサッカーにおける体脂肪率は7%〜10%が、90分間スタミナが途切れる事なくキレを発揮したスプリントを繰り返せる数値だと考えている。最初の筋肉チューニングから2週間が経過し、動きにも良質な変化が現れてきたころに、数値上でもその効果の裏付けができた格好になった。

そんな頃、彼から電話がかかってきた。
「均さん、ちょっとご相談があります。12月6日にシーズンが終わります。その後、12月中旬に家族を地元において自分だけ上京してトレーニング合宿をしたいのですが、どう思いますか?」
「それはうちも歓迎だ!関東にいればチューニングの頻度も上げられるからトレーニングで追い込みつつ筋肉も緩めだけ緩める事ができるぞ。」
「それと、宿泊先なんですが…」
「ん?あてはないのか?うちの独身寮なら泊まれるぞ。地方から出てきた施術家見習いの新人2人のために古い一軒家を借りたんだよ。まあ、とてもじゃないがJリーガーが泊まるような住まいじゃないぞ(笑)それでも良かったら一部屋用意するがどうする?」
「いいんすか!?ありがたいっすm(_ _)m」

横浜寮
横浜独身寮

彼が12月16日に横浜の独身寮にやってくる事になったので、会社のメンバーに独身寮用に布団一式を購入するよう指示を出した。世話役は、Twitter経由で知り合い、去る10月に入社したばかりの竹内と工藤の2人。竹内は新潟から、工藤は札幌からカバン一つで上京してきてこの独身寮に住み込んでいる施術家見習いで絶賛修行中の身だった。工藤は大学時代に駅伝部に所属し日本大学駅伝にも出場した経験のある本物のランナーだった。この経歴を活かし施術家見習いとともにJリーガーのランニングトレーナーを担当していた。横浜寮から徒歩30分の場所にある当社の『筋肉チューニングサロンUROOM横浜関内』のサロンマネジャーはチューニングスペシャリストの西尾だ。工藤が毎日早朝から彼のランニング指導にあたり、午後は西尾がメインでもう1人のセラピストを同席させて筋肉チューニングをかける。負荷が高いランニングトレーニングの疲労のケアと共に體を改善進捗させていく。住まいはボロいが、再起を図るサッカー選手にとっては、実は何より最高の環境だったのだ。

10年間、Jの世界で戦ってきた現役バリバリのベテラン選手がお世辞にも好環境とは言えない部屋に泊まり込みで2週間のトレーニング合宿をする。さすがの私にもこの発想はなかった。妻子を地方に置いて単身上京しての覚悟の合宿。私の想像を超えた彼の決断と行動力から、その本氣度と覚醒への渇望が痛いほど伝わってきた。こうなると彼の復活のためのアイデアが湯水のように湧いてくる。筋肉チューニングは2週間に合計5回を短期集中で実施し、ランニングは二部練も可能な好環境だった。強度を高めてのハイ・インテンシティ・トレーニングやスプリントトレーニングも加える。後半には岡本達也と高尾山にトレランに行くという。彼はすっかり走る人になっていたのだ。

彼自身の覚悟のおかげで、当社の新人たちも本当に貴重な経験をさせてもらった。どんなに経験を積んだとしても「初心に返る事の大切さを忘れてはならない」と身を持って教えてくれたのだ。彼は歳こそ竹内や工藤と同じ20代だが、10年間Jリーグーで活躍してきた正真正銘のプロアスリートだ。一方の2人はまだ駆け出しの施術家見習いで修行中の身。その境遇には天と地の差があるのは誰の目にも明らかだったが、彼は同じ土俵で、同じ屋根の下で、この2人の新人と寝食を共にしてくれた。同じ釜の飯を食って彼らはかけがえのない仲間になったのだ。私は自他共に認めるほど、古い考えをもつ人間だ。儒教の五常(仁・義・禮・智・信)を大切にしている。初対面の時から、彼は朴訥ながらしっかりとした価値観を持つ人間だと感じていた。彼のこの英断と2週間の言動を見聞きした私は、何が何でも彼を檜舞台に戻さなければならいという使命を強く感じるようになっていった。

裸一貫になったこの独身寮での2週間合宿がトップアスリートの運命を劇的に加速させたのは間違いないだろう。ランニング能力は工藤のリードで日を追うごとに飛躍的に高くなっていったのが数値データでも顕著だった。西尾がメインで時にマスターセラピストの鮎川も加わって筋肉チューニングの回を重ねていった。短期間でこれほどチューニングをかけたのは人體実験の私以外では初めてだったが、彼自身がこれまでにない軽さとキレを体感していった。全てが順調に循環していた横浜合宿の終盤に彼から電話がかかってきた。
「移籍です。所属先から構想外と言われました」
「移籍先の候補は2つです。一つはレギュラー確定で中心選手として迎えてくれるJ3のクラブです。もう一つはベンチにさえ入れるかわからないですがJ1です。」
「どっちにするんだ?」
「正直言うと迷ってます…。J3は主力で迎えてくれるので間違いなくゲームには出れます。こうして體を変えてトレーニング効果も出ているので自分自身を試してみたいという氣持ちはあります。ただ、またJ1の舞台に戻りたい氣持ちもあります。」
「ん?どっちが楽しそうなんだ?(笑)」
「あっ、そうでした、楽しそうなほうを選びます(笑)」
「だいたい決まったな(笑)」

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それから数日後のクリスマスの日に、彼から移籍先が決まったと報告のメッセージが届いた。彼は私の予想通りJ1のクラブを選んだ。彼の性格と自信が戻ってきたその言動から、間違いなく厳しく険しい道だが絶対に楽しいであろう舞台を選ぶと思っていた。おそらく控えの控えで、同じポジションの3番目の選手だろう。よほどの事がない限りベンチ入りも難しい。それでも挑戦を選んだ彼を誇らしく思った。年明け早々にシーズンインとともに地方での合宿キャンプが始まる。それまでに引っ越しやら年越しやら忙しい日々が続くのだが、私には彼の前途が輝いているようにしか見えなかった。
(つづく)


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