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少数精鋭の成立ち ー採用と育成ー

組織論というとやや堅苦しいので成立ちという言葉に置き換え、私の本業である企業経営者として組織をどう捉えているかを記そうと思う。大学を卒業後、大手食品メーカーのサラリーマン生活を7年経てITベンチャー企業へ異業種転職。その会社がたった1年後に倒産し、社長1人とアルバイト1人が四畳半一間で営業していた、これぞまさに零細ベンチャー企業を絵に描いたようなマンションカンパニーへ再び転職。つまり、事実上の脱サラをしたのが2002年、今からちょうど20年前の春だった。

今でこそGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazonの略で世界の情報網を管理統制しているグローバル企業体)の一角として誰もがその存在を知っている「Google」だが、当時はまだYahooが全盛期の時代で、Googleを常用していたのはネットベンチャー界隈と新しい物好きのアーリーアダプターだけというまさに黎明期だった。

イノベーションのベルカーブ

そのGoogleの検索結果において、企業のサイトを上位表示させるSEO(Search Engine Optimization)という手法を世に広めた企業が、このマンションカンパニーだった『アウンコンサルティング株式会社』という会社だ。1998年の設立の会社なのでいわゆる第二創業に携わる事になるのだが、それから約4年で東京証券取引所マザーズ市場に株式上場するまでになる。入社当時の私は部下ゼロの一人営業責任者で日々法人向けの提案営業に明け暮れていたが、Googleの認知度の高まりとともにSEOの認知も高まっていったので次第に営業活動も軌道に乗り始めた。石橋を叩いて渡るような堅実さと、これと決めたら即断即決で動くスピードを兼ね備えたオーナー社長の指示の元、部下の採用を開始した。それから3年で社員は3名から40名まで急増し私自身も事業責任者として経営陣に加わる事になる。

それまで経営など学んだ事もなく、ましてや採用や育成なども手探り状態の3年間で得た経験は今思い返してもあまりにも稚拙で赤面してしまうような失敗の数々だったが、その経験自体が今でも貴重な糧となっているのは疑いようのない事実だ。成長著しく勢いがあるベンチャー企業で最も難しいのが人財採用だろう。まず何と言っても給与が低い(苦笑)当たり前だが資金繰りもままならない企業がいきなり厚待遇で人財を招き入れたらあっという間に資金が底を尽き倒産という憂き目に遭う。だから給与は安いのだが、それでも黎明期の企業を成長に導くような優秀な人財を獲得しなければならない。一見するとその魂胆にそもそも無理があるように思うえるのだが、成長しているベンチャー企業は押し並べてこれを実践している。もちろん、ベンチャー企業は大企業と違いその企業の成長とともに社員の給与は上がっていくので最初の入口だけが問題になるケースがほとんどだが、"目先の安定や安全"を最優先するような思考が身についている人々に、最初の難関を突破させるような採用戦略が必要となる。

では、どういう戦略を取ったのか?

新卒を含めた若年層の採用を強化するという一択だった。給与水準が低いとは言っても新卒の初任給は大企業も低い。ならば、同じ土俵で勝負できるような魅力を提示できれば若手人財の興味をひく事ができるかもしれない。そう考えて新卒採用を始めたのだ。ノフハウもなく右も左も分からない新卒採用活動もやってみれば何とかなるもので、十数名の"真っ白な新人"を採用する事ができた。どんな魅力を提示できたかは定かではないがアピールしたのはやりがいと成長力だったと思う。1,000人の会社の中の1人より、30人の会社の中の1人がより多くの仕事が割り振られ責任を体感できる。これは実体験として見てきた私の感覚なのだが、自分が組織の一員として先行きは不透明だが希望溢れる世界に向けて航海をする船を動かしてるような重責を担っていると感じるのだ。若者たちも新人の頃から責任と結果を目の当たりにしていると、企業人としての自立が促され成長速度は上がっていく。その分、プレッシャーも多いだろうしストレスも溜まるだろう。当時は、現在のような人體の本質など微塵も知らなかったので、会社を選んでくれた若者たちを何としてでも育て上げなければならないという責任から独学で育成の多くを学び、業務外活動に精を出した。それでも正解を導けたかはいまだにわからない。ただ、日々が慌ただしく過ぎていき、その企業は私がマンションカンパニーへの転職してからたった4年で80名の規模にまで成長した。まさに走馬灯のように駆け抜けた4年間だった。事業統括役員としての最後の1年間のミッションは採用と育成のみと言っても過言ではないほど「人財とは」に向き合った。

2005年12月に株式公開をしてマザーズ市場に上場する事になる。私も大株主として社会的成功者と見做されるようになるのだが、達成感とともに経済的利益が想像を遥かに超えるほど大きかったので何とも言えない不条理さを感じていた。「"人財"とは言うが辞めていった人はどうしているだろうか?」「私は若者たちのエネルギーを搾取していただけではないだろうか?」「結局は"人材を浪費し"一部の人間たちだけが成功を手にしたのではないか?」そんな疑問を持つ私の心情を見透かされたかのように、上場から数日後にオーナー社長から肩を叩かれた。
「續池さん、短い間でしたが本当にお疲れ様でした。あとは好きな事をやってください」
もう時効だろう月日が経っているので顛末を話すとこれは事実上の役員解任である。私としては自分が責任を負うべき若者たちの成長を見届ける事なく会社を去るのはとても心苦しかったが、一方でこれで自由になれるという安堵感があったのも事実だ。

突然の役員辞任の報が狭い業界に広まり、ありがたい事に同業大手から経営陣として参画しないかというお誘いも多かったが、自他ともに認めるほど義理人情を重んじる性格で最初からこの選択肢はなかった。明けて翌年2006年2月16日に自分の会社を設立した。それが『セブンシーズ・アンド・パートナーズ株式会社』という会社だ。

2022年4月フルリニューアルした会社HP

ただ、会社は設立したものの、前職の同業を続けるという不義理もあり得なかったので全くやる事がないし新しいアイデアもない(苦笑)そもそも、やる気もない(笑)いわゆる燃え尽き症候群だったのかもしれない。完全な長期休暇を取るほどの決意もなかったので、個人事業主としてできる事といったらベンチャー経営のアドバイスくらいだが週に2日ほどベンチャー企業に顔を出して顧問を務めたりしていた。しばらくして一つ二つ事業を立ち上げたが、熱意が足りなければ実になるはずもなく事業資金が徐々に枯渇しいき会社の行末を考え始めた創業5年目に待望の長女が生まれた。42歳の冬に人生初の育児が始まったのだ。妻との二人三脚のつもりが、全く役に立たない自分自身を目の当たりにして腹を括って専業主夫になった。当社の金庫番で私の右腕の山本にも一時的に他企業へ転職してもらい完全な開店休業になった。

育児を始めてから5年の間に出会った「整体」。子どもの生命に向き合い、自分の體を整える必要性に氣づく事ができた貴重な5年間だった。育児を始めた頃はもうビジネスの現場に戻るつもりもなかったし、自分は引退した身だと言い聞かせていたが、あまりにも貴重で稀有な経験をした事で、それをより多くの人に知ってもらいたいと思うようになっていった。そしてついに2016年8月、『筋肉チューニング整体院UROOM調布成城』を開業した。会社を設立してから10年が経っていた。人生とは必然でありタイミングは自ずと訪れるものなのだ。

「採用と育成」というテーマから随分とかけ離れたように感じるかもしれないが、株式上場まで突っ走ったネットベンチャー企業時代と、アーリーリタイヤで専業主夫となり育児を経験したのちの健康ベンチャー企業の現在とでは価値観があまりに違い過ぎるので敢えてバックグラウンドに触れたと考えていただきたい。ではいったい「何が変わったのか?」人が育つ事の本質の一端を垣間見て、「人は育てるのではなく、育つものだ」と考えるようになったのだ。これは主体者が私から採用する人財に移ったという大きな変化だ。子どもは育てるのはではなく育つもの。「子育て」ではなく「子育ち」と言う表現がとても氣に入っているし、行き過ぎた管理をしてしまう事への自戒の念もこめて使っている。生まれてから立ち上がるまでに1年間も要する動物は人間くらいなものだが、この間は当然ながら「子育て」が中心である。親が「子育ち」を学ぶ準備期間でもあるのだろう。子どもが自立するまでに教えなければならない事もたくさんあるから、「子育ち」とは放置するという意味ではなく、あくまで主体者が子ども自身であるという前提でどう導いていくかが親の役目なのだと考えている。そして、子どもが10歳にもなれば自分で考え、自分で行動し、自らの価値観を体現するようになる。

企業での採用と育成もこの観点で考え実践するようになってから心に残っていたわだかまりが減ってかなりスッキリしてきた。整体院経営での人財の中心は施術家・整体師・セラピストになる。そして、施術家とは「人の命を預かる仕事」をする人だ。私は施術家ではないが経営者として、施術家道は、3年でスタートライン、5年で一人前、10年で本物、その先は達人の域と考えている。3年でスタートラインとは即ち子どもが自らの足で立ち上がるまでの期間と同じスタンスなので箸の上げ下ろしから施術道の何たるかまでを経営陣と一人前の施術家が手取り足取り教える事になる。採用では「この人はスタートラインに立てる人かな?」という視点で面談をしている。最初のコンタクトからある程度人としての道をわきまえていないと、とてもじゃないが人の命を預かる仕事はできないだろう。自分自身を表現する力は、人と向き合う力の源になる。自分自身が整っていなければ人の體と心を整えるような導きはできないだろう。だから、新しく仲間に加わる施術家の卵たちには、スタートラインに立つまでの3年で自分自身を整えるように伝えている。この最初の3年間をどう過ごすかで、その人の施術家としての成長曲線が変わってくるのだ。新入社員へプレゼントする書籍の一つに『達人のサイエンス』という本がある。若い人には少し理解し難いのかもしれないが、とても示唆に富む本なので推薦したい。

コロナ前の私は、そこは経営者なので人材投資という観点で思考していたから離職をリスクと考えていた。本来なら人財が自費120万円かけて学ぶ『整体塾』のカリキュラムを、さらにバージョンアップした内容を約2ヶ月間にわたる新人研修で学ぶ事ができる。もちろん給与をもらいながらである。そうして"育てた"人財が会社に利益をもたらす前に離職したら元も子もないと。しかし、コロナの2年の間に自分自身の、そしてこの会社の、ヴィジョンが明確になったので不測の事態にも腹を括って向き合えるようになった。ヴィジョンというブレない軸を中心に据えた事で、育児と育成を重ね合わせて考えられるようになれたのだ。育児は親の思い通りにはならないし、人財育成もまた経営者の思い通りにはならないのだ(笑)。子は自ら育ちたいように育つし、施術家もまた成りたいように育つ。つまり、会社が施術家たちの自立や自律を促せば彼らは理想の姿を求めて成長しつづけ、やがては精鋭の匠になっていくのだから、これをサポートするのが経営者の役割だと考えるようになった。その役割を果たすために、彼らが施術家道という修行のような人生で活き活きと育てる環境を整えるのが肝要なのだろう。もし、この環境を息苦しく感じたり外の環境が素晴らしく思えば離職していくだろうし、仮にそうして離れていく仲間が増えてしまえば、それこそ経営者である私の不徳の致すところなのだ。

そして、たとえ離職する人が現れたとしてもヴィジョンへの共感は残るだろう。予防医学の先は未病であり健康自主管理だ。これを実践する施術家が増えていくのだから、実は何も問題はない。だから、実際にスタートラインに立つ前に離職する人もいるが、それを悔いることもないし、残念に思うこともない。別れが少し寂しいだけなのだ。

現在当社はTwitter経由でのみ新しい仲間の募集をしている。一緒に働く仲間と大切にしたい価値観やヴィジョンは既にSNS空間で共有されているし、経営者である私の考えを公私交えて概ね披露しているので、会社説明会を実施する必要さえ感じていない。そもそもこんなに尖った会社を一回の説明会で理解してもらおうというのが困難だし無駄だと考えている。その一方で、世界全体を覆う歪な社会の存在に氣づいた仲間たちの価値観は驚くほど近く、ヴィジョンを交えて話すと一瞬で意氣投合するこも多い。だから、私が先月まで行っていた『覚悟の人體セミナー』に参加してくれた人の入社率も高いし、自分たちのヴィジョンの実現につながる仕事へのコミットメントも極めて高い。こんな採用環境に恵まれている当社は、引き続き新しい仲間を招き入れ、人財が精鋭になるべく自ら育つ環境を整えて、組織が腐敗し停滞しないよう自らを律して世界に挑戦していく。

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