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読むを語る

天文館といえば鹿児島最大の繁華街で、飲食店やショッピングモールが立ち並んでいる。なかでもセンテラスはさまざまなお店が入っていて、散歩するだけでも楽しい。その4階にかなり大きい図書館があり、その場所でラグーナ出版主催の読書イベントが開催された。

ラグーナ出版は精神障碍者の就労支援を積極的に行っている出版社である。詳細は同社のHPをご覧いただくとして、ラ・サールの丸山先生が『旅をする本』を、私が『あなたのちからになりたくて』をラグーナ出版から出したことが今日のイベントにつながった。

右が丸山晃先生(ラ・サール中学校高等学校)

コロナがようやく収束し、ノーマスクが日本人らしく他人の顔色をうかがいながら少しずつ増え始めている。私はかれこれ1週間ほどノーマスクの生活で、ポケットにも入っていない。宿泊したホテルの朝食がバイキング形式のため、マスクをしたほうがいいのかなと思ったが、特に何も言われなかったのでそのまま過ごすことにした。快適である。

今回もコロナがとんでもない状況になっていれば延期だの中止だのということになったのだろうけれども、そんな状況なので予定どおりに開催され、80名以上の本好きが集まった。こちらの写真には20名ほどしか写っていないが、この後ろに60名以上の方々が階段状のテラスに座っておられる。

天文館センテラス内の図書館にて

どうして本を読んだほうがいいのかわからないのに、我が子や生徒に本を読めと繰り返したところで彼らは読まないだろう。加えて肝心の大人が本の虫である姿を見せておかないと、彼らは本を読まないだろう。本を読むというのは体質のものなので、できれば子ども時代から本を読む習慣を身につけたほうがいいのだろうが、キーパーソンは大人である。

いろんな人がいろんな読書論を書いている。「読書の目的は娯楽」と書いたのはサマセット・モームである。「一日を多読に費やす人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」と書いたのはショウペンハウエル。両文豪には申し訳ないが、私の読書の目的は娯楽ではないし、多読をしておかないと思考力が堕ちる。

どうやって読書時間を捻出するのかという質問があった。個人的に言うなら、捻出した経験がない。教員時代に週30コマの授業をしていたことが数年間あったが、その時でも日々の読書は欠かさなかった。自慢ではない。子どもの頃から、食べ物があれば口に放り込む、本があれば開くという体質が出来上がっているのである。

本を読み、じっくりと考えるのが大好きな小学生だった。小4で太宰先生に、小6で夏目先生と芥川先生に師事し、最終的には遠藤先生に行き着いた。現在は向田邦子先生と浅田次郎先生が師である。いつも私には師匠がいた。師匠がいる人間は幸せだと考える。

今回のイベントは非常に有意義だったように思う。休みの日に、また鹿児島では花火大会が開催されるのに、会場にはたくさんの大人と子どもが集まってくだすった。イベント終了時の挨拶で「皆さんもいつかは書く側にまわってください」と申し上げた。参加者の目が大きく見開かれた瞬間だったように思う。大人も子どもも目を輝かせていた。会場全体がキラキラしていた。

ラグーナ出版の皆さんと天文館図書館の方々にはお世話になった。心よりお礼申し上げます。言うまでもなくご縁をつないでくれた丸山晃先生にも。本当にありがとうございました。

本は素敵だ。そして読書は習慣である。したがって、思考も習慣なのである。こうしたイベントを通じて、多くの方々がご自身の人生を考えてくださるなら、物書きとしては幸甚の至りである。

木村達哉

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