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もののあはれと計画性

1673年、誰に対しても同じ価格で商品を販売する「正札(しょうふだ)販売」が始まる。革新的な方法だったらしく、今に至るまで小売業は値札販売が世界標準だ。これを始めたのが三井越後屋、今の三越だという。

「もののあはれ」からもわかるように、日本語には情緒的な言葉を大切にする美意識があって、もちろんそれは私も好きだ。感情を表すときには数値を使うより、最近でいうところの「エモい」のほうが共感を得られたりする。

「しばらくSNSを休みます」と発信した人が数日で復帰してるのを見るにつけズッコケたりするんだけど、これは本人が言う「しばらく」と受け取った自分とのギャップからくるものだ。「しばらく休みます」が数日なのか数ヶ月なのかは神のみぞ知るで、おそらく本人すらよくわからないのだと思う。

日本は「ハイコンテクスト文化圏」と位置付けられ、実生活でもSNSでも行間や空気を読むことを求められがちだ。日頃から仲の良い関係なら発せられた言葉の真意を読み取れる可能性は高いし、「言わなくてもわかるだろ」的コミュニケーションはパートナー同士で発動しやすい裏設定だろう。
しかし、プライベートの関係で許容される曖昧な言葉も、仕事の場面では情報が足りないことが多い。

展覧会で会場設営をする際、平面作品は壁にかけることになるのだが、これが意外と神経を使う。1人2人が展示物を持ち、作家なりギャラリストなりディレクター的立場の人間が位置や間隔、水平垂直をチェックする。そのとき「もうちょっと左、で、もうちょっと下」と言っても伝わらない。
この場合は、「2センチ左に、で、5ミリ下に」が正解。センチやミリは誤差の範囲でたいてい相互理解できる。

作品のことで言えば材料の採寸や分量計算を結構な頻度で行うし、素材による乾燥、気温、湿度などのコントロールも欠かせない。工具には危険な物もあるため、安全面にも配慮しなくてはならない。ある程度のエラーは折り込み済みとしても「ああ!失敗した!」という声が遠方から聞こえて来るたびビクッとしてしまうのは作家の性(さが)か。

そして制作速度を見越したスケジュール管理は命綱だ。
私は忙しくなると自分が3人いたらどんなに良いだろうかと思ったりもするんだけど、3人いたら3人とも遊んでしまうだろうし、3人の私を食わすために3倍働くわけだから結局同じじゃないか。寝て起きたら絵が完成してないかと毎晩祈っているのに、一向にそんな朝が訪れる気配も無い。

まわりの人気作家を見ると、次々くる締め切りに対応できるよう対策を練っている。そして効率よく回りだすと「そもそも創作とは何ぞや」というジレンマが襲い「こんなことでよいのだろうか」と苦悩するのだ。マゾか!

創作の定義はさておき、生活費・制作費の捻出、体調管理も作家活動には大切な要素だ。曖昧なスケジュールや生活基盤で長く続けられる作家は少ないだろう。なんといっても、自分の代わりをやってくれる人がいないのだ。小さな無理が蓄積すれば、やがて大きなひずみとなって必ず影響が出てくる。ちりも積もれば災難が襲うのだ。

計画性が作品自体の良し悪しに必ずしも影響があるとは思わない。瞬発力やカオスの中から生み出されるものの面白さは確かにあるし、どんな作品にも偶発箇所がある。ただ、「なんだかよくわからない」と言われるような作品に隠しコマンドが埋め込まれていたり、いっけん簡素な作品群が膨大な検証と実験を繰り返した結果だったりする。

フィーリングで仕事しているように見られがちな美術作家も、かなり色々な計算のもと仕事をしている。曖昧な思いつきや衝動のみで活動しているわけではないことが、多くの人に伝われば幸いである。

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"Water" 2019 H606×W455mm

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