キムチサカナ
わんばんこ
眠れないので綴ります。笑
キムチサカナと申します。
本名と2文字違うだけなんですけどね(小声)
笑
しーっ
この名前、すごく嫌だったのに
いつしか愛着が湧くようになりました。
私が鉄棒の上に跨って
「プロペラ」
という、
とても危険な技を習得したくらいの歳の頃。
そのあだ名は誕生した。
これは、キムチサカナ爆誕のストーリーである。
※ノンフィクション
同じクラスの
オリジナル迷路の制作に精を出し
少しちやほやされていた
「田中のこうちゃん」に
名付けられた
このアホなあだ名。
「キムチサカナ」
↓高学年くらいになると、現代アートと言っても過言ではないようなラビリンスを創り上げるツワモノも存在する。
話は戻ります…
今となっては笑い話であるが、
私はこのあだ名をつけられて泣いた。
戦場は
某枚方市北中振1丁目9のホームである。
笑
何両目くらいのホームの場所かも
覚えている。
笑
「キムチサカナ〜!!!」
と、ひたすら罵られた。
周りの男子も笑っていた。
悔しいっっっ…
「キムチサカナじゃないもんっ!!」
と、必死の抵抗をするも
田中のこうちゃんの
「キムチサカナコール」は
終わる気配がなく
手拍子まで始まるのであった。
UZAI....
そこで、渾身の一言。
ちょっかいをかけられたら
こう言うと決めていた
若干8歳の私の脅し文句。
「サカナちゃんのパパ怖いねんからなァ!!!」
これで、大体の輩は蹴散らしてきた。
笑
この一言で、たしか
キムチサカナコールは止んだ気がする。
この一言は、わかりやすく言えば
水戸黄門の
この紋所が目に入らぬか!!
ぐらいの効力を持つ物だと
思っていただければバッチリだと思う。
参照
〽︎じ〜んせ〜い らっくあ〜りゃ
く〜もあ〜るぅさ〜
小学生時代
親が共働きであったために
祖父母の家に帰り、晩ごはんを食べて
自宅に帰って寝るという生活をしていました。
時代劇、相撲、国会中継、演歌、浪曲(1番嫌い。笑)
毎日のように触れておりましたので
平成生まれの割に
どこか古風だと言われるのは
その所以だと思うところでござりまする。
おっと、失礼。笑
反ベソをかきながら
帰宅して
母に
「キムチサカナって言われてな、あんな、ちょっとな、悲しかってな、やめて!って言うてもな、やめてくれへんかってん。」
すごく真剣な眼差しで母に訴えたにも関わらず
「うまいこと言うなぁ!」
と、言われ
また泣く私であった。笑
8歳にしてはいいネーミングセンスだと思う。
はじめまして、きむちさかなです。
申し遅れました、キムチサカナです。
うん、
カタカナのほうが
なんか、クリエイター感あるよな。
キムチサカナとして
今後も何卒、よろしくお願い致します。
どろん。
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