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経験のなさを武器にする。

前回からの続き)

「次世代の教科書」という出版プロジェクトを始めた。
高校生を中心とした若者世代のために、「正解のない世界をたくましく生きていくための新しい教科書」を作るプロジェクトだ。
https://jisedai-textbook.com/

さて、そもそもこんな大それたプロジェクトを作っているのはどんな人間なのか。新しい教科書をつくるなんて豪語できる資格はあるのか?

これを書いている私(デスク)は28歳、いままでに編集者の経験は無し。
編集メンバーはほか1名。26歳。こちらも編集経験無し。
金風舎代表の香月は編集者として長年の経験があるけれど、それでも今からやろうとしていることは全く未知数の領域だ。
メンバーの顔ぶれだけ見ると、無謀も良いところだ。

経験がないと良いものは作れないのか?

でもむしろ、その経験則のなさが逆手に取れると思っている。

現時点で、私の中には出版業界における常識というものがそこまでない。

企画の作り方という観点でも、出版流通の常識という観点からしても、読者としての常識感覚はあれど、作り手としての常識感覚はあまりない。

今までの大勢と同じことをしようとすれば、その性質はマイナスに働くだろう。もっと勉強しろ!と先輩から怒られるやつだ。

だが、既存の枠組みを超えた新しい価値づくりをしようとしたときにはどうだろう。

常識がない、ということが逆に自信や行動力につながるかもしれない。

「新しい教科書づくり」なんていう大上段のコンセプトに関してもそうだ。

出版業界の影響力とか、学校の教科書との関係性とか、そういうものを気にしてリスクヘッジする、という考えがあまりない。
持って生まれた人間としての性質云々じゃなくて、シンプルに経験がないから恐れを知らないという話なのだけれど(ちなみに自分自身は基本的に臆病でリスクを取りたらがない性格だ)、でもその経験のなさは、新しい価値を作りに行く際には武器になると思った。

価値あると思うことを素直に世に問うてみる、いい意味での無謀さのようなものがある。

経験による積み上げがないからこそ、フラットな気持ちで次世代を作ろうと思える。
私は完璧にフレッシュとまではいえない中途半端なポジションだけれど、だからこそ、旧世代と新しい世代との架け橋になれる。

ちなみに「次世代の教科書」は学校の教科書や今までの知の体系を否定するものではなくて、お互いが補完し合いながらより良い人生を送れるようにするためのものだ。この点、誤解なきよう……(さっそく臆病な性格が出た)。

そういった誤解を恐れず教科書と名付けたのは、今まで学んできたものとその価値をいったん客観的に捉え直す機会を作りたいと思ったからだ。そして、読者自身の人生にとって本当に必要なものを改めて考えるきっかけを作れると思ったからだ。

そういう意味では、今までの教科書と、「次世代の教科書」の2つのスタンダードを持った人間は最強かもしれない。

だって、生き方と知恵の体系を2つも自分の中に持っているのだから。

私達は、若い世代が必要だと思ったもの、そして今の世の中に見当たらないものを作ろうとしているだけなのだ。原始時代、獲物を狩るために石器を生み出したように。そして、誰かの意見や学びを広めるためにヨーロッパで活版印刷技術が生まれたときのように。

歴史を作る、なんていうのは大げさに聞こえるけれど、この無謀な営みが時代を何らかの形で変えるきっかけになるのなら、やり続ける価値は十分にある。


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