見出し画像

vol.2 「ミーニング・ノート」働く女性のための講演レポ

こんにちは。書籍『ミーニング・ノート 1日3つチャンスを書くと進む道が見えてくる』の編集・イラストを担当した比惠島(ひえじま)です。

2019年11月23日(土)、20~30代社会人女子のための少人数制キャリアイベント「オンナの未来塾」でミーニング・ノートの講演&ワークショップを行いました。今回は講演部分・山田さんのキャリアについて、6つポイントに沿ってレポートします。(本イベントに関しては、マイナビニュースでも発信されているので、コンパクトに読みたい方はそちらをどうぞ)

画像5

『ミーニング・ノート』著者・山田智恵さん(左)、編集・比惠島由理子(右/聞き手)

■まずは簡単な自己紹介から

山田智恵です。よろしくお願いします。前職は株式会社オプトのソーシャルメディア事業部で部長をしてました。フェイスブックやツイッターやインスタグラムで企業がどうやってマーケティングしていくかという。

3年前に独立して株式会社ダイジョーブを立ち上げて、でもほとんどの時間に執筆活動に当てて3年半かかって本をようやく完成しました。

今はミーニング・ノートのワークショップや企業で研修で行ったりしています。あとは「Women@RoundTable」という女性マネジャー=管理職のためのコミュニティーをやっています。女性管理職が世の中に10%しかいないので、女性同士助け合うコミュニティーが作れたらなと。

今日はミーニング・ノートの話なんですけど、簡単に説明するとチャンスをノートに書いて見返すんです。書くこと見返すことっていうのがすごく重要なんで、そうする事で意味づけ力がすごくアップして、未来を切り開けるノートメソッドになっています。また、後で詳しく説明したいと思います。

書籍についても触れると、「意味づけ次第で自分の行動が変わって、結果が変わって、人生が変わっていく」というのがこの本のメッセージになっています、この後でワークショップも行なっていくので、話を深められたらなと思います。

■質問1:大学卒業後の進路について

「大学卒業後、お父様の会社に入社された」と本で書かれていました。そのきっかけは?また、仕事内容は?

大学卒業後、皆さん就職活動をされると思うんですけど、私は、就職活動をせず、弁護士になろうと思って、司法試験を勉強していました。

が、とてつもなく大変で、とても私に向いてなくて勉強がやりたくなくて。父が、自動車業界を顧客に持つ金型などを製造する会社を経営してまして、いくところがなく、入れてもらったという感じです。

仕事はやっていはいたんですけど、精神的・経済的に自立していなくて。当時の会社は、従業員が1400人くらいですごく成長していました。

私は、新丸ビルの最上階にあるオフィスに車で通う浮世離れした生活送っていました。製造業の会社で工学系の人がほとんどで、私は法律学科出身の文系であまり活躍できる場がなくてですね……社内改善のプロジェクトをやったりしていました。

■質問2:32歳で初就活した時のこと

2008年のリーマンショック後、お父様の会社が大変なことになって一家全員無職になったんですよね……。

32歳で初就活したということですが、就職活動の内容入社した会社の入社理由(決めてとなったもの)などを詳しく聞かせて下さい。

リーマンショックは製造業が大きなダメージを受けたんですけど…この会社もお客様も製造業の方が多くて、経営が苦しくなって、2009年に民事再生を申請しました。申請は通って、会社は残ってはいるんですが、社内では色々ゴタゴタがあって、私たち家族全員会社にいたんですが、全員クビになって。それが2010年3月ですね。

32歳で無職になってしまいましたが、就職活動もしたことなくて、好きなことも、得意なことも、スキルもなくて、そもそも働きたくないという感じで、始まりました。

キャリアとか自分で生活していくことをきちんと考えたことがなくて、いきなり裸で社会にポーンと放り込まれた感じで…一言で言うとどう生きていけば良いのかわからない

自分だけでなくて家族全員で無職で、全員暗くて、父なんて自分で立ち上げて人生全てを捧げてきた会社をクビになるなんて、本当にショッキングなことでした。

ハローワークに通って失業手当をもらいながら、やったことのない就職活動を行なっていくんですが、生きていくためにも心を立て直さなきゃいけないなと思いまして、嬉しいこと日記というのを始めたんです。これは自己啓発本に書かれていて。手帳とかノートとかは好きだったので、やってみたんです。

当時は

「コンビニで買ったチョコレートが美味しかった」

「YouTubeで観たアメトークが面白かった」

という感じに嬉しいことを書いていました。

当時本当に暗かったので…ネットカフェは一日1500円くらいで居れるんですけど、薄暗い個室で、マイケルジャクソンを聴きながら過ごしていました。そんな生活だったので嬉しいことを書き始めても、全然なくてこんなことを書いていたんですね。スマホも番号を変えて、ネットとコンビニの生活だったんですね。

生きていくために、前向きになる方法を探して、嬉しいこと日記を始めて、少しずつ心が回復してきましたが…就職活動はどうしたら良いかわからなくて。でも、32歳になってそんなこと知らないなんて、人にも言えず。

「履歴書 書き方」とかグーグルで調べていました。

***

とりあえず、エージェントに登録するんだよって教えてもらって、3箇所登録しました。その1つが、すごく親身になって接してくださる女性の方で、凛として素敵だったので、その人にお任せしました。そして2社落ちて、3社目で決めました。

1社目は、グローバルな製造業。面接は、いきなり「質問は?」から始まりました。まさか、そう来るとは思ってなくて、しどろもどろ。今でも覚えている衝撃的な面接です。当然落ちました。

2社は、お寿司屋さんのチェーン。大阪まで行って、社長面談も。魅力的だったけれど、面接している最中から、イメージが湧かなかった。向こうの方が私以上にイメージが湧かなかったと思いますが、これも落ちました。

3社めの凸版印刷は、実際に面接してくださった人が素敵だったこと。そして、大学院の先輩も偶然にいて。その先輩が温かく接してくださって、安心感もありました。民事再生や、その後のドタバタを経験して、初めて「みんなが言う安定が大事だと思っていたので、大企業であることも決めての一つでした。この時の社員の方々は、今でも仲良くしていただいている素敵な仲間です。

■質問3:その後転職した理由

32歳で初就活した後入社して、2年で転職されていますが、その理由は?

2010年に凸版印刷に入社して、10年遅れの社会人生活が始まってすぐに

「みんなと同じ努力をしたところで、絶対に追いつけない」

って気が付いところから始まりました。

社内の宅急便システムの存在も知らなかったし、見積書の作り方も知らなかったんです。いつもネットでわからないことを検索してました。私、ネットがなかったら終わってたと思います(笑)

そして、2011年に震災が起きた。良い人も、悪い人も関係なく多くの人が被害にあって、「日頃の行いなんて関係ないじゃないか。。」と無力と怒りを感じました。もっと大きい「何か」が人生を動かしている。その「何か」は、縁とか運とか含めて、「チャンス」だと思った。チャンスとどう向き合うかが大事だと思いました。

そして、過去にたくさんのチャンスを逃してきたと気が付きました。後悔。それと同時に「あ!今この瞬間も逃しているのかも」と気が付いたんです。それから、ノートにチャンスを書き始めました。

あと、震災でもう1つ人生観が変わりました。安定が大事だなと思って凸版印刷に入社したけど、地震がきて、「あ、今日死ぬのかな?」って思った時に、「安定なんて、どこにもない」って思った。

そんな軸で仕事を選ぶのはやめようって思ったんです。凸版印刷は大手っていうだけでなく、働いている人がすごく魅力的で働きやすかったけれど、「何か自分でしかできないこと」をもっと探してみたいと思っていました。

そんな時に、大学院の同級生がメールで「オプトという会社で、新しいサービスを始めた」という投稿をしてきたんです。手作りの作品を売買するサービスでした。私も、前にそんなサービスあったらいいなと思ったことがあったので、「すごくいいと思う!絶対にはやるね!」って返信しました。

そうしたら「オプト来てみない?合うと思うけど」って誘ってもらったんです。その日はそのことをチャンスとして書きました。彼がすごく楽しそうに働いていたので、「いい会社に違いない!」って思いました。

私は最終的にソーシャルメディア事業部を紹介してもらいました。当時、ソーシャルメディアが伸びることは明白だったけれど、まだ新しい業界。ここなら、ゼロから参入しても、活躍できるかも?と思って入社しました。

■質問4:転職後、1年で部長に昇格!管理職になってから大切にしてきたことは?

転職1年後に部長へ昇格、ボストンへ留学、外資系企業の社外取締役就任されたとのこと。
管理職になるために努力されたことや、管理職になってからの仕事に対する姿勢、学びのあり方など、キャリア形成において大切にされていたことがあれば教えてください。

管理職は、当時の上司から打診されたんです。びっくりして、「いやー私は無理じゃないですかね」ってしどろもどろだったんですが、二度目の打診を受けた時にチャンスかなって思って。自分が部長だったらと言う目線で部署をみるようにし始めました。部長試験の1回目の時は、根回しが足りず…会社内で誰も私を知らなかったので落ちました。2回目の試験で昇進したんです。

部長会議に初めて出た時、9割男性で驚きました。これは今までと全く違う世界だと。何か学ばないとって思った時に、ボストン留学の投稿が目に入ったんです。女性のためのリーダーシップなんてものがあるんだと初めて知りました。これは私のためのプログラムだと思って、志願して合格しました。

部長になってすぐの時に、いきなり1ヶ月会社を休んでボストンに行きたいなんて、許してくれないかなって思ったら、当時の上司は、二つ返事でOKを出してくれて。日本のことは気にせず、最大限吸収して来なさいって。すごい素敵な会社だなって思って、日本に帰国したら、学んだことを全て、みんなに伝えようって思いました。

ボストンで一番学んだのは、正解なんてない、ロールモデルなんてないってこと。正解を探しにボストンに行ったけれど、大間違いだったんです。オーセンティック、本物の自分であること。

自分がどういう人間で
何を信じていて
どんなことを成し遂げたいのか
それはなぜか。

そういうことを自分自身と対話して、言葉で語り、行動で見せていかないといけないんだと思いました。

帰国後、全部で7回ほど、社内勉強会をしました。総勢130名ほどが聞いてくれて。みんな、リーダーシップに悩んでいるんだと思いました。その後、希望者に向けて、「リーダーシップ部」というのを始め、自分でデザイニング・リーダーシップ・プログラムというのを作りました。ボランティアで、業務時間外に年に32回ほどやりましたね。

その後、そのプログラムを受けた人が、「すごく成長できた」と口コミをしてくれたことも後押しになり、会社に公式的に導入されました。予算をちゃんとつけて、プレスリリースを打って。卒業生の1人はオプト初女性役員になりました。

■質問5:なぜ起業したの?

2015年に『Instagramマーケティング入門』を出版され、その後、独立をされますが、そのまま組織の中でキャリアを積んでいく選択肢を取られなかったのはなぜですか?

今の活動の中で、社会にどのようなことを伝えていきたいですか?

2015夏頃に、何人かから、「今後どうするんですか?」と言われ始めていました。なんか、次のステップを考えるタイミングなのかな?って思ったんです。

2015年末に、予算達成。投資した会社も、投資分を事業展開で回収できたり、部署のメンバーも社内全体の賞で表彰されたり。「あ、もう私がいなくても、うまく回るだろうな」っていうのがイメージできたんです。

その時、ちょうど、本の作家講座に通っていました。ミーニング・ノートの本を出したいと思い始めていたんです。不器用なので、仕事と全く関係ない本の執筆と、仕事を両立できないだろうなって思いました。

本を書くために会社を辞めたんです。私自身が、人生をこのノートに救われたので、きっと、誰かこのノートに救われる人もいるだろうと。

誰かに相談すると絶対に止められるから、1人で決めて、後で報告しました。家族は心配してたかもしれないですね。

「本を書く。すごくいい本になるから」と伝えました。

でも、信じて応援してくれました。

実はそれから本を書き終えるまでに3年半もかかりました。人生で一番大変でしたね。ストレスで体調も壊し、いつでも暗い顔。引きこもって、人とも合わない期間もありました。

「この本は、求められていないのかもしれない」とも何度も思ったけれど、ノートをやっている人に、どんどん良いことが起きて、「こんなこと起きました!」と嬉しそうに報告してくれると、あぁやっぱり書かないとって、エネルギーがまた出てきました。

ノートを続けている最中から、これすごいノートだなってわかっていました。どんどん人生が変わるから。で、たくさんノート術をやっていたけれど、それまでにない新しいものだということもわかっていた。「私がすごい」という感覚ではなく、「たまたま、私がこのやり方を発見して、これを伝える役割を与えられた」っていう感覚。伝えないとっていう。

私が特殊な人に聞こえるかもしれないけれど、そうじゃないんです。ノートをやっていると、自分の想い、経験、縁など全てがつながって、「私は、こっちの方向に進むんだな」っていうのが見えてくる。単純に好きというレベルを超えて、自分の役割とか、使命みたいな感じ。点ではなく線で見えてくる。

私が大事にしている基準としては、それが大きい方向性が時代とあっているか。ソーシャルメディアも、間違いなく、ユーザー増えるだろうなって思っていた。だから、「大きい方向性として間違いない」という感じ。

AIで人間の仕事が変わってくるというのが、当時話題になっていました。ロボットにできない仕事は何かなって考えた時に、「心」「生き方」に関連する仕事かなと思ったんです。ミーニングノートも、リーダーシップ・プログラムも、どちらも「心」と「生き方」に関連する話なので。

■質問6:キャリア形成に悩んだとき、ミーニング・ノートをどう活用したらいいですか?

ミーニング・ノートのポイントは5つあります。

1つめは、「目標を決めて、意思の力で達成する生き方」よりも、「目の前に起きたことを捉えて、価値や可能性を見つけ出して変化していく生き方」が今後の時代の鍵になると思っています。
VUCA※の時代。次に何が起きるかわからない。そんな時代には、目標設定すること自体に無理がある。今何が起きているのかを捉えて、価値を見出す力が鍵になるんです。

V=Volatility(激動)、U=Uncertainty(不確実性)、C=Complexity(複雑性)、A=Ambiguity(不透明性)

2つは、「今」に集中することができるということ。
未来を憂いて、過去を後悔する。人はこんなことを毎日繰り返して「今」を見ていないことが多いと思います。ミーニング・ノートで「今」に集中できるようになります。過去と未来はノートに任せるんです。

3つめは、「自分の心」と対話できるということ。
情報が多い時代。外からの情報ばかり頭を占めていて、自分が何を感じ、何を考えているのか見失いがちです。ノートを通じて自分と対話する時間を持つことができきます。

4つめは、自分に起きたこと、縁(出会い)、想いを大切にできるようになります。
スティーブ・ジョブズが誰でも手に取れる雑誌の裏表紙に載っていた「stayhungry stay foolish」という言葉をずっと大事にしていた、という話を聞いたとき、私は「自分に起きることが大したものではない」と心のどこかで思っていたことに気が付きました。それってイコール「自分は大したものではない」と思っているということです。ノートを書いて見返していくと、自分に起きたことや縁、そして、自分の価値がわかり、大切にできるようになります。

5つめは、進む道が見えてくる、ということです。
(ノートをつけ始めて)チャンスのつながりに線を引いていると、大きな道が自然と見えてくるんです。ゴールという「点」ではなく、道という「線」のイメージです。こっちで間違いないと確信できるようになります。

画像7

***

いかがだったでしょうか?

編集担当・比惠島は、今回初めて山田さんの講演をお聞きしました。
書籍を編集していたので、経歴は把握していたのですが、実際にご本人の口から聞くと、改めて壮絶な人生だなと…そこからミーニング・ノートを生み出して確立した山田さんの根底の力強さを感じました。

画像8

Profile:山田智恵(やまだ・ともえ)
ミーニング・ノートの発案者。リーマンショックの影響で、勤めていた父親の会社が民事再生を申請し、一家全員無職となる。32歳で初の就職活動を行うなど、ゼロか ら人生を切り開かなくてはならず、チャンスをつかむために「ミーニング・ノート」 を始める。そこから人生が好転。2016年に株式会社ダイジョーブを設立。ミーニング・ノートを広める活動や、 リーダーシップ・プログラムを企業や大学に提供している。

慶應義塾大学大学院経営管理研究科(MBA)卒業
著書:「インスタグラム・マーケティング入門」(金風舎)
共著:「できる100の新法則 Instagramマーケティング」(インプレス)
[ミーニング・ノートを学べるオンライン・コミュニティ]http://meaningnote.com 
[Instagram]@meaningnote


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?