弱さと適材適所
木ノ戸昌幸さんの「まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験」を読んだ。
スウィングとは、障害者の方が仕事をしつつ、戦隊モノのコスチュームをつけてのゴミ拾いをしたり、アート作品の展覧会を開くなどのユニークな取り組みを行っているNPO法人だ。
そこに通う人はスタッフも障害者の方もユニークで、親の年金でキャバクラ通いをしていた過去を持っていたり、すぐにテンパったり、小学生と喧嘩したりしている。
社会的には、弱者だったり、できない人とされる人たちかもしれない。
本書には、スウィングのメンバーの強烈で、笑えるような笑えないようなエピソード、周囲の期待に応えようとして苦しんできた木ノ戸さんがスウィングを立ち上げる経緯が描かれている。
僕が一番好きなところは、忙しくなるとテンパって仕事が恐ろしくできない沼田さんが活躍できるように、木ノ戸さんが必死に考えるシーンだ。
木ノ戸さんは言う。常識や普通、できる人像に必死に自分を合わせるのではなく、自分の弱さ、できないことを認め合ったほうが楽に生きられるし、人は良い方向にいくのではないかと。
たしかに、弱さやできないことを認め合うという言葉の響きは魅力的だ。肩の力が抜けるし、ダメなままでも許される感じがする。
でも、実際問題、仕事場で考えてみると、弱さやできない問題はかなり深刻だ。
寝坊して取引先とのミーティングをすっぽかしたらかなりヤバイし、あまりに失敗が重なれば、しわ寄せは周りの人にいく。
もちろん、周りの人はしんどいし、なによりも苦しいのは本人自身。肩身は狭く、自己肯定感は下がる一方だ。
こと仕事場に限ると、弱さを認めるだけでは難しそうだ。
そこで重要なのが、「適材適所」なのではないか。
人間、弱いこと、できないことがある一方で、得意なこととは言わなくても、人並みにできることは何かしらある。その部分を見つけて、仕事を用意してあげる。
だから、まさに木ノ戸さんが沼田さんにイベントの司会を任せることで、欠かせないメンバーとして受け入れることができたシーンは痛快に感じたし、希望を感じた。
ゆるいように見えて、ほんとにゆるい感じだけでうまくいったらそれは理想的かもしれないけど、実際は優しいだけでなく、必死に考えて、弱さを受け入れている。そこが一番カッコいい。
自分自身、学生時代にブックオフのアルバイトで、短い時間でどんどん判断して作業をこなすことができなくて、すごく苦しかったことを思い出した。
今の仕事では、比較的じっくり時間をかけて考えることができて、ブックオフよりかは自分の強みを生かして仕事ができるようになって、楽しく働けている実感がある。
できる・できないは、その人の能力もあるけれど、環境によるところもかなり大きいと思う。
それもこれも、まずは自分の弱さをオープンにできる文化がないと、周りもサポートすることが難しい。
人間、弱さやできないことが合って当たり前。その前提で、できる限り本人も周りも適材適所にできないかを考える。
どうしてもその職場では叶いそうもないなら、もっと身軽に、気軽に、適性に合った職場、仕事を探すことができる。そんな社会になったら、もっと生きやすくなるんじゃないかな。そんなことを思った。
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