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ちょっと高級なチョコレートと丁寧な暮らし

先日誕生日を迎え、この世に生を受けて26年目の年となった。そこで、友人からちょっといいチョコレートをもらった。

ビターなブラックチョコレートの中に入った、ザクザクのナッツたち。そこにいいアクセントの大き目のザラメ。口に入れると必ず、口の周りにつくココアパウダー。食べるたびに、わたしって丁寧な暮らしができるようになったんだなと実感する。しかし、部屋の床には散らばった洋服たち。実際には丁寧な暮らしなんてしていない。

自分が掃除ができないのは小学生のころからだった。みんなのお道具箱の中は整頓されているのに、雑然とした私のお道具箱。机のギリギリまで積み重ねられたお道具箱の中身は、箱を出し入れするたびに変な音を出していた。

ひとり暮らしを始めた去年の六月。インスタグラムで見る「丁寧な暮らし」に憧れ、気に入った部屋の写真を保存した。しかし、実際に暮らしてみると丁寧な暮らしには程遠い暮らしが始まった。雑然とした部屋の床には脱ぎ捨てた上着。机の上にはいつか使うペンや昨日飲んだコーヒーのカップがおいてある。それもきれいな形ではなく、コーヒーが固まって変な模様を描いている。

丁寧な暮らしができなくったって生きている。ふと、丁寧な暮らしをすることだけが「生きる」という事ではないということに気がついた。別に床に上着が脱ぎっぱなしだって、コーヒーが飲みっぱなしでも、それでも大丈夫。気が向いたときにハンガーにかけたらいいし、カップだって気が向いたら水につけておいたらいい。

さっき出かけた時に使ったリュックは左足の横にあるし、もらったプレゼントの空き箱は右足の横に漠然と転がっている。それでもいいのだ。今日もしっかり生きているのだから。

いまにむ

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