7/12 今日の学び

親は安倍さんが亡くなったことに対して「警察が悪い」という立場で非難していたが、「私はただの知識のない一般人がこうだったかもしれないというのはどうなのかと思う。警察やSPが責任を感じて次に繋げるのは重要だが、命をかけた人に何もしていない一般人がとやかく責めることはできないと思う。」ということを言った。この意見に対して、「警察はそういう職業であって自分の命を捨ててでも安倍さんを守るべき」「最近いつも自分達の言うことに対して反発してきて論破できないんだったもっと勉強しろ。自分達に反論するんだったら家から出ていけ」と怒られた。

「別に意見を同じにする必要はなくて、あなたはこう思うけど私はこう思うでいいんじゃないか」と言ったら「そんなこと言ってて世間の意見と外れたらどうするの?」と言われた。じゃあ世間の意見が戦争しましょうだったら戦争するのか?


社会はより具体的な特定の1人であった方が責任を負わせやすい。だから「個人>組織>世間」という順番で叩きがちだ。

今回も、警察やSPを叩きやすいから叩いているだけな気がする。警察やSPがしっかり防げたかもしれないで言ったら、そんな場所で演説するような風習がなければこんな事件が起きなかったかもしれない。加害者が実行する前に誰かが止めていたら事件が起きなかったかもしれない、ということになる。

しかし、私が思うこれが正しいかわからない。もしかしたら違う視点があるのかもしれない。
私は意見を決定するときや決断するときはいつでも不安だ。もっといいものがあるのかもしれないと無意識に探してしまう。しかし誰も唯一の素晴らしい解は見いだせないものなのだと思う。自分の頭で考えて、賢く悩みながら生きていきたい。

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