吉田拓郎が歌う「ガンバラナイけどいいでしょう」

演歌は日本の心だという風潮があるが、僕はフォークソングこそが日本の心だと思う。


フォークソングは民族音楽がルーツと言われていて、その起源はどうやら諸説あるらしい。が、日本のフォークソングはアメリカ由来のものだそうだ。

この時点で僕の「フォークソング=日本の心」理論はあっけなく崩壊するのだけど、日本のフォークは独自の進化を遂げ、まったくの別物になっている。いわばカレーやラーメンみたいなもんだと思う。


一口にフォークソングといってもアコースティックギターと歌だけの純然たるフォークソングもあれば、アコギと歌を軸にバンドサウンドをのせたフォーク・ロックと呼ばれるジャンルもあるらしい。


1960~70年代、学生運動が盛んであったこの時代に、反体制、反社会的なメッセージを歌にしたフォークソングは若者の間で一大ムーブメントになった。

とはいえどの歌手もがそういったメッセージを歌ったわけではなく、日常の一コマを歌った曲や愛する誰かに向けた曲のように大衆に受けた曲も多く、これらは商業フォークなどと呼ばれるらしい。


正直、フォークが好きとはいえこのあたりのカテゴライズはどうでもよくて、メロディーの心地よさや温かみがあればいいと思っている。



両親がフォークソングを好きだったのでカーステレオからよく流れていた。
自発的に聴くようになったのは中学生になってからだったと思う。
よくテレビショッピングや新聞広告なんかに載っているような「青春のフォークソング全集!」的なオムニバスアルバムをどこからか入手し、気に入った歌手のアルバムを親のコレクションやレンタルCD屋から借りてきては聴き込んでいた。

この時点ではまだロック、というかBUMP OF CHICKENにのめり込む少し前なので、僕の音楽の原風景はフォークソングといっていいだろう。


そのオムニバスアルバムにはまさにフォークソングを代表する面々が名を連ねていた。


かぐや姫、風、チューリップ、イルカ…小椋佳の「さらば青春」は夏休みの音楽の宿題でリコーダーで演奏した。クラスメイトを置き去り、フォーク世代の先生だけが大絶賛というなんとも空気の読めないことをした。いい曲なんだけどな。。。


話が逸れたが、オムニバスアルバムの中で最も気に入ったのが吉田拓郎の「落陽」だった。


吉田拓郎の曲はいわゆる商業フォークの最たるもので、政治的メッセージを排除して日常を歌ったものが大半である。それ故にデビュー当時は風当たりが強かったという。


そんな吉田拓郎の曲の中では比較的最近の曲に「ガンバラナイけどいいでしょう」という曲がある。


頑張らなくていいじゃないか、そんな無理したっていいことないし、自分のペースでやろうよ。そんな一貫して緩いメッセージが込められている。


この曲は吉田拓郎が体調を崩し、思うように活動ができなくなった時期に作られている。


それをふまえると聴こえ方が大きく変わってくる。


サビでは

「がんばらないけどいいでしょう」
「がんばらなくてもいいでしょう」

と、繰り返し歌われるんだけど、最後のサビだけこう歌われる。

「がんばれないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう」



自分の限界に挑むというのはカッコイイ。
それを美学をする人は多いし、極限まで自分を追い込む姿に心打たれる人も多い。


だけどいつまでもそんなことをやっているといつか支障をきたすことになる。

好きなことを最期まで続けるために、歩みを緩めるというのもひとつの選択肢だと思う。
事実、吉田拓郎は体調面への懸念から全国ツアーを開催しないと宣言している。


頑張ることだけが素晴らしいことではない。

他人から見ると頑張ってないようにみえても自分なりに続けていけるなら、それはかっこいいことなんじゃないかな。



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