子育て中の友人と会って思うこと

 今週末、子育て中の友人と家族ぐるみで出かける機会があった。私の父は蛾の研究をしていて、昆虫に詳しいのだが、私の友人のAさんの長男くんが絶賛虫にはまっているそうで一緒に虫捕りしたいということで、今回の合同虫捕り会が開催されることになった。長男くんは虫捕りのセンスが良かったのに驚いた。小さい生き物をすぐ見つけられる。すごい。コノハチョウ(天然記念物)も見れて満足の様子。パパのほうが熱く興奮していて、終始喋り倒していたのが印象的で楽しそう。半面、私の友人のAさんはいつもより大人しくしていて、元気ないのかな?と思ってしまった。会話も少ないし。子供の面倒見ないといけないから話し辛かったのかなと、少し心配になった。

 後日、友人のAさんに連絡すると、「虫捕りの時は喋っちゃいけない気がして話せなかった」と言われ、少しほっとした。色々話すうちに、Aさんが見えないところで苦しんでいたこととか、夫婦関係の話になって、私はAさんの見せている姿(主にインスタで見ている姿)が全てだと思い込んでいたことに気づき、ショックだった。みんな、何かしら抱えているものがあるんだという当たり前のことに気づけていなかった。特にこのコロナ禍の中で、余計にみんな多かれ少なかれストレスを抱えて、踏ん張ってる。私は、子供を育てるということがどれだけ大変なことか、想像も及ばない。もちろん子供がいるからこその「幸せ」だって味わえるのだろうけど、「幸せ」は心の余裕があって初めてわかるものなんじゃないかと思う。追い詰められていく親が多いのは「独りで」色々なことを抱え過ぎているのかもしれない・・・と思った。もっと周りの人がサポートしていけるような仕組みとかがあったらいいのになと思う。Aさんとは距離が離れているけれど、力になれることは何かないだろうかと思ってしまう。困ってる訳ではないと思うけれども、些細な事でも良いから頼れる存在が一人でも二人でも居たらいいんだろうなあと思う。

 子供ひとりの命を育てていくことの大変さは、体験してみないとわからないし、必ずしも女性だからといって皆が経験できることでもない。そんな中で、やっぱり「子育て」は母親がするべきという考えは古いし、負担を考えると父親が参加するべきなのは分かるけれど、何も子供のことを知らない、むしろ誰かを世話するなんてままならない子どもみたいな父親がもし、育児に参加したところで、かえって妻側のストレスを増幅させてしまうこともあるんだろうな・・・と、友人のAさんを見ていて思った。家事も同じで、いくら夫婦分担にしたところで、小さなことが気になりだすと、やっぱりギスギスしてくる。難しい。ドラマ「逃げ恥」からも同じようなことを、そういえば思った。

 妻と夫が対等であることの難しさ。そもそも人間関係の上で、対等な関係を築くことは、同性であっても難しい。自分の人生と共に歩もうとするパートナーだったら尚更そうだと思う。

 パートナーって何だろうって最近よく思う。私自身は「家族を新たに築きたい」という気持ちはそこまで無くて、安心できる場所があれば、別に異性・同性関係ないな・・・とも思ってしまう。それが結果的に「家族」になっていくのが究極の理想で、目的は「家族をつくること」ではなく、一緒に居て安心できるかどうか、心から信頼できるかどうか、お互いの存在を認めあえることができるか。根本にはそういう思いが強くある。

 こうやって書いてみると、「めっちゃ理想高くない?!」ともう一人の自分が突っ込み始める。しかし、それでいいのだ。理想が高くて何が悪い。自分に嘘をついてまで、根本にある自分の声をふさいでまで手に入れたいものは存在しない。だから、心の中にある自分の本当の気持ちにいつでも素直でいたいと思うし、時々突っ込みながらも、それでオッケー!と思えるようになりたい。

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