「○○沼」
最近よく「○○沼」という言葉をよく耳にするが、正直私はこの言い回しが好きではない。
なぜか。
たしかに「○○沼」という表現は、「○○にハマった」と言うより短くて、よりインパクトのある便利な言葉なのかもしれない。
「沼」という表現それ自体には罪はなさそうだ。
でも私はこの「沼」に、どうしたって違和感を覚える。
何かに夢中になる。ハマる。
そういう経験は誰にだってあるものだ。
もちろん私もいろいろなものにハマってきた。
アニメ「おそ松さん」のキャラクター「カラ松」にハマった時は、血眼になって毎週ガチャガチャを引いていた。
K-POPの「東方神起」にハマった時は、youtubeで朝から晩まで彼らの戯れる姿を愛で、カラオケで意味の分からない韓国語をシャウトしていた。
商業BLと呼ばれる漫画にハマった時は、こんな卑猥なものを本棚に並べてはいけないのでは、という自意識に苛まれながらも、純粋で痛々しい登場人物に感情移入しまくっていた。
こうやって自身の「ハマった体験」を並べて眺めてみると、
「え?病んでる?」と言いたくなってしまった。
ハマることは「病むこと」なのか?
イコールでは無い気がするが、病んでいる時に「ハマることで安らぐ」経験をしてきた身としては、何か関連があるのでは?と思ってしまうのである。
「沼」の話に戻ると、
私にとっては「ハマることは決してネガティブな事ではない」
だから、「○○沼」という表現が正しいか否かは別として、
もっと、ハマることに対して肯定的になってもいいのになぁ
なんて勝手に思ったりする。
傍からみたらハマっている様子は奇妙で理解し難いことなのかもしれない。
でもそれでいいじゃないか。
「私」は、今それに夢中で夢中で大好きで愛おしくて切なくてやるせなくてとにかく好きで好きで仕方がない。
周りが全く見えなくなるほど夢中になる。
それの何がいけないんだ。
いいじゃないか、夢中で。
いいじゃないか、大好きで。
だから、私は自分の好きなものはちゃんと好きって言いたいんだと思う。
何を好きになってもいいし、それを叫ぶのは全然悪いことじゃない。
「○○沼」と言うことで、ちょっと世間一般には理解し難いマニアックな世界を表現しているのかな、とも思えて来た。
マニアックで何が悪いんだ!
ピンポイントで何が悪いんだ!!(誰も悪いとは言ってないが)
私は「マニアックな世界観を持つ人は、むしろ信用できる」
という妙な、でも確かな信念をもっている。
変なものが好きでもそれでいいじゃないか。
第一、「普通」か「変」か、なんて
他人の物差しだ。
もっと自分の物差しで見てもいいんじゃないか。
自分の感覚を信じていいんじゃないか。
「○○沼」という便利な言葉について考えると
結局、自分の好きなものを肯定したい
自分の感覚を自分で「いいね」したい
そういう気持ちがあることに気づかされた。
「自己満」かもしれない。
でも自分を満たすこと、自分で自分の好きなものに価値があると思えること
それって大事なことのような気がする。
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