見出し画像

2021東日本大震災被災地訪問-2

キミマツサクラプロジェクトメンバーのTです。
前回に引き続き、被災地訪問に関しての記事となります。

福島県の太平洋岸沿いを北上し、1日目の宿泊地である仙台市内を目指しています。福島県境に接した宮城県山元町。前回に「ポケふた」を紹介しました。福島のキャラ・ラッキーと宮城のラプラスがグータッチ(パー?)をしているデザインのマンホールですね。

画像1

このマンホールはJRの坂元駅前にあります。そして坂元駅からほど近いところには震災遺構があります。

画像2

それがこちら、山元町立中浜小学校です。ここは海岸からわずか400mしか離れていない場所にあり、平成元年の校舎建て替えの際には敷地全体を2mかさ上げしたという経緯があります。その結果、震災当日に90人の命を守り抜いたのです。

画像3

画像4

画像5

東日本大震災で被害を受けた太平洋沿岸の各市町村には、こうした学校の震災遺構がいくつも残されています。どれも津波の威力を後世に伝えるべく残されたもので見ごたえ十分です。震災を直接知らない子供たちや、津波の恐ろしさを忘れかけていた私たちにも今一度、防災への意識を高めてくれる貴重な存在といえます。

画像6

その後、夜は仙台で牛タンを。仙台の牛タンは何度食べても飽きないですよね。個人的には仙台滞在中は3食牛タンでも大丈夫です。

さて、2日目は三陸海岸沿いを一気に北上します。津波により大きな被害を受けた南三陸町へ。私は過去に仕事で何度か三陸沿岸を訪れていました。震災前に行った南三陸や気仙沼、陸前高田の風光明媚な雰囲気がとても印象深かったです。それが震災で大きな被害を受けてしまい、大きくショックを受けました。

ここでは少し、過去に私が震災後に現地を訪ねた画像も交えていきます。震災翌年の2012年に再び南三陸町を訪ねたのですが、街はまったく面影もなく、更地も同然といった壊滅的な被害を受けてました。

南三陸1

南三陸4

この画像の左奥には南三陸町の防災対策庁舎が写っています。南三陸町の防災対策庁舎といえば、若い職員が津波が迫る中で最後まで避難を呼びかけ続け、本人が逃げ遅れてしまったという悲劇の現場として知られています。

画像9

こちらは2013年の夏に現地を訪れた写真。南三陸ホテル観洋の震災語り部バスツアー中にコースになっていました。2012年よりも少し更地化がすすんでいるように思えます。

画像10

その次に南三陸を訪れたのは2017年2月。かつての市街地は大がかりなかさ上げ工事が行われていました。2016年から志津川地区の旧市街地は公園としての整備がすすんでいたのです。そしてあの旧防災対策庁舎はというと、画像中央の覆いの中なのです。

画像11

この頃は防災対策庁舎に関して、震災遺構として保存するという意見がある一方、見るたびに辛いことを思い出すという住民も少なくなく、解体する方向性で進んでいました。

紆余曲折を経た防災対策庁舎ですが、2031年までの期限で県有化され、その後は町の判断にゆだねるという状況になっています。そんな防災対策庁舎を中心とした震災復興記念公園が2020年12月に全体開園を迎えました。

画像12

画像13

画像14

公園は防災対策庁舎を取り囲むようにかさ上げされています。震災犠牲者の追悼や震災の記憶と教訓の継承などを目的に、6.3haにも及ぶ広大な公園が整備されています。しかし、この公園のある場所にはかつて市街地が広がっていたことを忘れてはいけません。

画像15

公園の中心には祈りの丘と名付けられた、ひときわ高い丘があります。この丘を取り囲む道は「高さの道」と呼ばれ、海抜16.5mに位置しています。これは志津川地区を襲った津波の高さと同じ。ここに立てば防災対策庁舎も十分な高さではなかったことが目線で分かる場所になっています。

画像16

そんな南三陸町震災復興記念公園の川向いには、南三陸町さんさん商店街があります。建築家の隈研吾さんがデザインしたという、南三陸産の杉を使って造られた中橋を渡って行きます。

画像17

画像18

南三陸さんさん商店街は道の駅のようなロードサイド型の大型観光施設。30店舗弱のお土産店や飲食店など、元気いっぱいなお店が並ぶ商店街です。季節に応じて内容が変わるという、名物「南三陸キラキラ丼」は南三陸のブランドグルメとして知名度が上昇中!南三陸の海の幸を存分に堪能できるのです。

画像19

画像20

画像21

そんな南三陸の名物といえば、実はタコなんです。さんさん商店街の中にもいろんなところにコミカルなタコが潜んでいます。もちろんグルメでもタコを味わっておきましょう!

そして南三陸のもうひとつの名物といえばモアイです。そう、イースター島にある、あのモアイです。

画像22

南三陸さんさん商店街にはモアイ像が置かれているのですが、コレがれっきとした本物のモアイ。なんとイースター島の石を使って作られており、友好関係のあるチリはイースター島から送られてきたという代物だったのです。

画像23

モアイはイースター島の言葉で「未来に生きる」という意味だそう。津波により大きな被害を受けた南三陸の地へ、霊力(マナ)を宿らせたモアイが贈られたのです。その背景には、かつてイースター島でバラバラに倒れてしまっていたモアイ像を、日本人が元通りの姿に直したという功績もあったのです。そして門外不出のモアイ像を世界で初めて贈られたのが、ここ南三陸町だったのです。

商店街の店舗ではタコにちなんだグッズや、モアイにちなんだグッズもたくさん並んでいますので、お土産にピッタリです。カワイイものばかりですので、ぜひ買って帰りましょう。

次回は南三陸からさらに北上していきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?