等身大きみ

等身大きみ

最近の記事

  • 固定された記事

9月は無職

はじめまして。 「きみ」と言います。 34歳にして、無職になりました。 転職8回。仕事に就いては辞めを繰り返す中、「私って本当は何に興味を持っているのだろう?」と分からなくなってしまいました。過去に目を向け、振り返るためにnoteに書き出していきたいと思います。 補足として、8月、八木仁平さんの自己理解チャンネルを知りました。 当時、コールセンターで働いており、お客様から理不尽なことで怒られる日々でした。電話が鳴る度、心臓がバクバクしていました。電話が苦手なのに、滑舌

    • #4 寝坊で単位と信頼を落とす / 大2

      2年の冬。 ドキッとし、目を覚ましました。 時間を確認しようと思い、携帯電話を見ると、70件の着信がありました。その瞬間、「終わった」と思いました。 大学入学前から受講したいと思っていた、 プロの俳優やスタッフと学生が共同で劇場用映画を製作するというプロジェクト。 一年を通じて行われるプロジェクトで、私は2年生の時に携わりました。正確にいうと、フライングして1年の終わりから、監督の側でプロットの話を聞いていました。 雲行きが怪しくなったのは、10月。 キャパオーバー

      • 母親から卒業して、自分の力で生きたい

        母が大好きだから、現実を見ることができていませんでした。 母を心配させたくない 母に認めてほしい そんな気持ちが強かったです。 引かれるかもしれませんが、未だに、母親から資金援助があります。 昔は嬉しかったですが、30を超えた辺りから、異常ということに気づきました。 実家に帰る度、こっそり母に呼ばれ、「あんた、仕事、大変そうだから、○○たち(妹)には渡さないけど、あんただけね」と封筒を渡されます。 3~5万円の額が入っています。 今年の6月も同様のことがありました

        • #3 さよなら、皆勤賞 / 小5

          病気や怪我をすることなく、元気に学校に行く。 私の取り柄でした。 しかし、小5のある日、仮病で参観会を休みました。 学校に行きたくなかった理由は、眼鏡をかけずに授業を受けているのを母に見られたくなかったからです。 「なんだ、そのちっぽけな理由は」と思う人もいるでしょう。 私にとっては皆勤賞を手放してしまうぐらい、大きな悩みでした。人の目を気になりだした頃の話です。 小5の頃、一気に視力が悪くなりました。病院の再検査で眼鏡が必要と言われ、作ったものの、家でしか使って

        • 固定された記事

          なぜ、転職を8回もしているのか。

          なぜ、仕事を辞めようと思ったのか。 「自分に合わないと思っては仕事を辞め」と一括りにしていましたが、「なぜ」を考えていなかったので、一つ一つ、向き合っていきます。 簡単にこれまでの経歴です。 ① WEBライター 新卒で入社した会社です。「ライターがしたい」という理由で決めました。広報スタッフとして大学のブログを担当しており、書くのと、発信するのが好きだったからです。 辞めた理由は、日勤雇用なのに夜勤もさせられた。業務内容が詐欺まがい。 就活時に企業について調べ

          なぜ、転職を8回もしているのか。

          #2 祖母の死 / 中3

          祖母は乳がんでした。再発し、余命が短いことを知った時は、膝から崩れ落ちました。私はおばあちゃんっ子だったからです。 それなのに、祖母に暴言を吐いてしまいました。 中3の夏。 受験勉強に身が入らず、寝転がってテレビばかり見ていました。両親は呆れ、放置していましたが、祖母は違いました。何度も「勉強しなさい」と言い、私が起き上がらないとテレビを消し、「これだから、あんたは」と説教されました。 頭にきた私は、「うるせえ、ばばあ」「私の人生だから、勝手に口出しするなよ」「〇ね」と

          #2 祖母の死 / 中3

          #1 いじめに遭う / 中1

          過去を振り返る中で、一番、思い出したくないのが中学です。 自分も傷つき、他人も傷つけてしまいました。当時は、学校という小さな世界が私のすべてでした。一人が怖い。嫌われたくない。周りの声や視線に敏感。根暗な私は、集団行動から外れないよう必死に生きていました。 始まりは、髪についた米粒だった中1の夏。 給食後、数人の男女が私に対し意地悪な笑みを浮かべていました。続けて、リーダー格の男子が、「あいつ、髪に米粒ついているぞ」と言い、ほぼ全員が私に視線を向けました。その瞬間、終わっ

          #1 いじめに遭う / 中1

          父の雷が落ち、帰る家がなくなった

          24歳の秋。 離島での住み込み後、私は日本各地を転々としていました。会いたい人に会い、行きたい場所に足を運ぶ。自由気ままに生活をしていました。そろそろ肌寒い季節になってきたので(リュックには夏服しか入っていなかったため)実家に帰りました。 リビングでくつろいでいると、父が私を見るなり、「おまえ、なに遊んでるんだ」と鬼の形相で怒鳴りました。続けて、「仕事が決まるまで家に帰ってくるな」と言われ、私の荷物を外に放り出しました。 前職を辞める時、両親に、リフレッシュを兼ねて離島

          父の雷が落ち、帰る家がなくなった

          当たり前が当たり前じゃなくなった日

          この時期になると思い出す出来事があります。 助けられなかった命についてです。 10年前。 私は離島で働いていました。 美しい海と、満天の星。 波の音を聞きながら飲むビール。 民宿に泊まるお客さんと"ゆんたく"。 毎日が楽しすぎて、ここに住もうかなと思ってしまうほどでした。 しかし、ある日を境に状況が一変しました。 民宿のオーナーが事故により、意識不明になったのです。 事故現場に私もいました。作業場所が離れていたので、どういった状況で事故が起きたかは分かりませんが

          当たり前が当たり前じゃなくなった日

          父を怒らせると母が泣く だから、親の意見に流されていた

          大学4年の1月。 私のせいで、家庭が崩壊しました。 父は怒り、家を出る。 母は毎日のように泣く。 受験生の妹は居心地が悪い。 私が自分の意思を持たず、父を裏切ったことが背景にあります。 始まりは就職活動を再開したことだった 大学4年の12月。 親から説得され、就職活動をやり直すことになりました。 当時、私は、町おこしに興味があり、職員の紹介で某町に関わりました。町の人たちと交流したり、イベントを企画運営したり、毎日が充実していました。そんな中、就職がなかなか決まらない

          父を怒らせると母が泣く だから、親の意見に流されていた