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映画感想 マチネの終わりに

最近、ちょくちょく映画を見ている。
元々映画には疎い方だったけれど、最近アマプラに登録して、週末。できれば週に1本。

映画なり読書なりで物語を摂取すると、休日がグンと脳にとってリッチになる気がする。
普通に家事して動いて体を休めて買い物して美味しいもの食べて、っていうのもリフレッシュできていいんだけど、
映画や読書は自分だけでは知り得ない感情を得られるのがいい。
そういえば松浦弥太郎さんも「人生を豊かにしてくれる「お金」と「仕事」の育て方」という本の中で、「感動に投資する」と書いていたが、まさに映画や読書とは感動への投資そのものかもしれない。
(他にも知らぬ地への旅とか、人との会話とか、色々あると思うけど。)

ここ数年、映画を観ると「考察」とやらをすぐに検索する癖があった。伏線を回収したり、他人の解釈に納得して気分がいいのだけど、一方でこれは自分の言語化していない心の動きをどこかに追いやってしまう行いでもあると思い始めた。ので、今日は考察や他人の感想を見る前に、ちょろっと自分の感想を残してみようと思います。
(以下、ストーリーの根幹には触れていませんが、劇中の名言などを少し拾います。)

マチネの終わりに

今日観たのは、福山雅治と石田ゆり子出演の「マチネの終わりに」(2019)。
私は石田ゆり子さんのナチュラルで可愛くて美しい空気が大好きで、2年前のアナザースカイでの「お金は紙だから経験に変えていきたい」という言葉にも、バレエシューズを買うという行動を”経験”と捉える考え方にも、憧れまくっている。
そんな石田ゆり子さんの出演映画なので&タイトルやポスターの感じにも惹かれて、ずっと観たかったのだが、なんやかんや観れていなくて、今日やっと観ることができた。

舞台はパリと東京と長崎とニューヨーク。
特に前半のパリのシーンは、街が美しくて、ゆり子さんが綺麗で、音楽が心地よくて、日本の映画だけどフランス映画を観ているような(フランス映画ろくに観たことないけどw)うっとり感があった。

あと何度も出てくる「未来は常に過去を変えている」という言葉。
よく「過去は変えられないけど、未来なら変えられる」とはいうけれど、前向きそうな言葉でありながら、ある種の過去に対する諦めを含むような気がする。「起きたものはしょうがない。変えられない」と。
では「未来は常に過去を変えている」とはなんだろうというと、たとえ事実は変わらなくても、記憶の中にあるその出来事のポジションとか意味合い、捉え方はこれからの行いによって変わっていく、という言葉なのかな、と思っている。
実は過去だって実体はなくって、人の記憶の中にしか存在しない、とても儚いものであるということ。
過去に支えられることも、悩まされることもあるけど、それは私の記憶の中の話であって、揺るぎないものかと言ったらそういうわけでもないこと。
ちょっと救われるし切なくもある言葉だなと思うけど、心に残しておきたい言葉だなと思った。

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