妄想の村のある朝

 私はある村へいた。娘はまだ寝ている。いおりで火をくべていた。パチッパチッとした音が鳴り、私は暖をとる。今日は、どの獲物を狙おうか。25㎞程、村の南西に位置する山の中で、大きな鹿の新しい足跡があったと、仲間が昨夜教えてくれた。妻が、木の実を村の近所へ、時折配ってくれているためか、”お礼に”と情報も入りやすくなっている。鹿肉は言うまでもなく非常にうまい。この秋の季節には、鹿も冬に向けて、色々と山の幸を食べて回るので、目方も期待できるし、その分、敏しょう性もおちるので、狩りをするのには良い時期だ。毛皮は、工夫すれば、ブーツにできる。娘のブーツが昨冬で小さくなりかけていたので、雪が降る前に新調しておきたい。私は娘の顔をちらっと見た。いおりの方に体を少し向けて眠っている。今日は、なめこ汁にしよう。隣村から少し多めにもらっていたコメを混ぜて、岩塩とハーブを加える。手短かに済ませて、出発するのなら早めにでかけた方がよい。塩さえ持っていけば、この時期は、川の水も容易に飲めるし、野ぶどうや、かしの実、いちじく等、豊富に実ってくれている。それになるべく、山にはないにおいを持っていきたくはない。山にいる動物達は、瞬時に、かぎつけてしまうし、それによって行動範囲も変わってしまう。何より山の神々が、おいかりになり、収穫への影響や、それ以外にも、村人にさえ影響を及ぼすような現象さえ、おこさせると信じられているのだ。村人は穏便で心優しい人たちだが、思想の中にも伝統はいきずき、伝統の中に古のご先祖たちが、生きていることも暗黙の了解になっている。しかし、さすがに、いくら山と共に暮らし、生かされてきた民といっても、鹿狩りを一人で行うのは難しい。余程の”仕掛け”と、優れたパートナーがいれば、別の話だが。とはいえ、我が血族には、優れた特技があるといえばある。私が小さい頃に、父から基礎を教えこまれたもので、狩りを重ねながら、独自に工夫して、分析するうちに、自然とできるようになったものだ。秘伝のようなものなので、同じ狩り仲間でもあまり、このことは話さない。思うに、血族ごとにそれぞれ突出した能力や言い伝えがあるのだろう。実を言うと、我々の民族は、血族ごとに守られている存在が異なる。我が血族の場合は、神聖なる空色の鷹が力を与えてくれている。血族を32代さかのぼれば、ありがたくも神聖なる存在にたどりつくとされているのだ。私は、水に塩を含ませて、口をゆすいだ。それから、小さな炎の青の部分を心でみて、いくつかの文言を唱えた。ちなみに文言は、季節と空の様子、風向きによって微妙に異なっている。私の意識は、少しずつ上に向かっていく。実際の体から抜けて、意識が上昇していく。そのまま家の屋根もつきぬけて、ゆっくり上昇していく。我が村が全て見渡せるくらいまで昇ったであろうか?私の意識は鷹の体を帯びている。そして、大きな羽根を拡げて、風にのる。南西25km。この意識の体では、さほど遠くはない。

 少し固めの土の地帯を探ってみると、確かに、大きな足跡がついている。深さもそれなりにある。間違いない。かなり肥えた雄鹿で、つい最近2日程前のものだ。体長も大人の男程は、あるのではあるまいか?娘の鼻を少し垂らしながら、笑った顔がちらつく。しかし、あせることはない。この周辺には、丁度良い高さに、繁っているブラックベリーがいくつかに点在している。また、雨が降らなくても、小川が流れており、食べれる苔も、この時期はある。よって、この辺りを寝床にしている可能性は十分考えられる。私は少し高度を上げ、探索してみた。確かに目は非常に良いのだが、意識がとぎ澄まされていくと、動くものは、たいてい感じられる。ここまで能力を高めるのには、やはり十数年はかかったが...おかしいな。それらしき息吹きを感じない。母ウサギが、子供を隠して、走り出したのを見かけたが、今はそれではない。存在がバレてしまうが、一声鳴いてみる。反射した、音の伝達の様子から、大体の固まりの大きさを推定するのだ。しかし、いつもの様子との違いは感じとれない。いるとしたら、大岩か大木のかげに隠れているしかないだろう。私は高度を急激にさげて、ブナの木の裏側を探した。・・ただ、大きな影があるのみだ。あとは、大岩の裏のみ。あまり寄りたくはない場所だ。村の人々も、暑い日に休憩をとる際は、このブナの木の日陰でとるのが慣例になっている。大岩には、いげんが満ち満ちている。山に育まれてきた人々は、余計に神秘の世界を感じとってしまう。実際にいるはずの動物がいない時は、この岩の奥の道を通り、一日程で出られる他の山道にのがれていくのではないか?とうわさする祭司の血族の者もいるくらいだ。私が意を決して近寄ろうとすると、

”近付くな”と不意に私の脳に警告してきた声があった。見ると、五本の足と大きなひずめが垣間見えた。体は岩影に隠れているのか見えなかったが、足跡の鹿だと確心した。私は話しかけたくなってみた。”私の体が見えるのか?”この体は意識体なのだ。その問いには答えず、”私は山の神。立ち去れ。”とだけ、返ってきた。私は、辺りを一回りすると、意識を自分の体へ戻した。山の神の言葉は絶対だ。

私は、いおりに体を向けて、横たえ、軽いうたた寝におちていった。

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