ハート・ストリッパーズ
メモ: 人がどう優しくあるかには、その人の弱さが露呈する。と言っても弱いことは悪いことではないとも思う。
人間関係は、纏った服を一枚ずつ脱いでいくようなものだ。
関係の温度が低ければ低いほど、私たちはたくさんの服を着込む。建前のダウンジャケット、偽善のセーター、等々。逆に、関係の温度が高いほど私たちは身軽になり、服を脱いでいく。ところで、関係の温度とは人と人の親しさを温度に例えたものである。今これを書いている私とあなたが一度も顔を合わせたことのない他人だとしたら、だいたい温度は冬の北海道くらい。まだ出会ったことのない人ならば、嫌悪感を抱くこともないので、その温度感はきっとロシアやカナダの寒さには及ばない。
あなたと1番親しい友達のことを想像してほしい。或いは、愛おしいパートナーでもいいし、母親や父親、兄弟でもいい。何でも打ち明けてしまえて、気負わず対面できる相手との温度はきっと高い。下着一枚で会えるかもしれないし、何も纏わなくても大丈夫かも。
人は関わる様々な人間に対応できるように、独自のクローゼットを持つ。器用な人は手軽に手に入って値段も手頃な服を沢山集めるかもしれないし、不器用な人は大切な人にしか見せない貴重な何着かを着まわしているかもしれない。
そして、同じ温度感ではない人間は一緒に居られない。セーター1枚でアラスカに行ったら凍死するし、ダウンジャケットを着てブラジルのビーチに寝転んでいたら脱水で死ぬ。人と人の関係の破綻は、この現象によって起こる。また、近づき過ぎてもいけない。人と人とが一度信頼し合い、愛し合い、素肌を曝け出したとして、片方が素肌の下にある血肉を見たいと思い、傷をつけてまで生身の皮を剥がそうとすればその関係は壊れる。これにちなんで言うとするならば、人には傷つけなければ出てこない一面があり、知った方と知られた方という2人の人間は簡単に支配する側とされる側に発展する。
途中