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戦争とアスリート――空爆通りより愛を込めて

 北江です。

 サッカーに関する小説を書いたことがあります。ちょっと調子良すぎる展開だったな、と反省していますけど。(『蹴走行進曲 「空爆通り」より協和音をこめて』北江亜音著)*Kindle電子書籍ストア

 中心に据えたのはスポーツ選手が戦争という究極の状態に押し込められる経験の悲劇です。今でも徴兵制のスポーツの問題を抱える国もありますが、戦争とスポーツは無関係ではありません。政治とスポーツは連関してはいけない、という建前はあるのですけれど。

 『行進曲』は、セルビア人のサッカー選手が日本でプレーする話です。そう聞くとピクシー(ドラガン・ストイコビッチ)を連想される方が多いでしょうね。セルビアはもとより旧ユーゴスラビアはサッカー大国でした。今現在は分離独立したそれぞれの国々に国家代表チームがあり、いくつかはワールドカップにも出場する強豪です。クロアチアの活躍はサッカーファンにはつとに有名なところです。

 ユーゴでボスニア紛争、コソボ紛争といった内戦が起こったのは、東西の壁が崩れ、ソ連が崩壊した連鎖で、今から約30年前から10年以上に渡り、阿鼻叫喚の地獄が展開されました。(1991年~2001年)その後も民族対立の火種が消え去った訳ではありません。市井の人々の反目だけではなく、サッカーの代表戦などはピッチが本物の戦場と化す緊張感が残っています。

 セルビアは旧ユーゴの中心でしたが、特に西側諸国から絶対悪のように扱われました。日本ではピクシーのイメージや親近感のお蔭か、それ程セルビア攻撃に荷担しているようではなかったものの、共に正教を国教と戴く兄弟国ロシアの影がちらつくこともあって、セルビアはエスニック・クレンジングの元凶で、全員殺人鬼みたいなキャンペーンが張られました。その辺りのことは『戦争広告代理店』(高木徹著)に詳しいです。また、ピクシーを中心にしたノンフィクション『悪者見参』『誇り』(木村元彦著)をお読みになると状況がとてもよく分かります。

 さて、私の『行進曲』では、そんな内戦を体験したセルビア出身のサッカープレーヤーが日本のJFLに来て、彼の人生に感化された日本人のサッカー少年がプレーヤーとして成長、飛躍するというストーリーです。

 現在もサッカープレーヤーだけでなく、世界中でアスリートが戦争で亡くなります。背景について、日本のニュースで触りだけ語られる以上のことを考えてみませんか。

 写真はNATOの空爆で破壊された建物を戦争の負の遺跡としているものです。私がセルビアの首都ベオグラードを訪れた2009年に撮影しました。彼の地は、ロシア語と同じキリル文字を使用しているにも拘わらず(当時既に結構アルファベットへ置き換わっている、と感じましたが)、英語がよく通じ、町中でちょっと立ち止まっているだけで直ぐに「大丈夫か」と訊いてくれる、明るく穏やかな人々が暮らしていました。

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