見出し画像

アイデアについて

週末は東雲氏とZoomをするのが恒例になっているんだけど、昨日のテーマは学校は大事なことを教えていくれない、ということだった。
例えば、小学校に入ってびっくりしたことの一つに、教師がみんなに向かって「集中しなさい!」と言ったこと。
集中とはどういうことか、どうすれば集中できるのか、そういう説明が一切なしで集中しなさいというから、集中がわからず困った。
周りを見るとみんながすごい形相でノートに向かって何かを書き込んでいたから、真剣な眼差しでノートを見ることが集中なのか、と子供心に思った。

似たことに「アイデアを生む」というのがある。
アイデアの生み出し方を誰も教えてはくれないけど、当たり前のように求められる。
よくアイデアが生まれる時は閃いたとか頭に降ってきたとか言われるし、世の中もそういうイメージだと思うんだけど、俺は子供の頃からそういう経験を一度もしたことがないから自分はアイデアを生み出せないし、アイデアを生み出せない故クリエイティブな世界とは無縁なんだなと、これも子供心に思った。
だから、ゲーム会社で働くことになった時に、アイデアを出す職業のアイデアを出す役割の企画になって、ものすごいナーバスになった。

経緯は省略するけど、人生を振り返った時、自分は破壊的なアイデアマンだったらしいということに気がついた。
そんな自分がアイデアについて思うことは、「アイデアとはつまらないほどロジックを積み上げた先にある答え」ということで、発想とか閃きとは無縁のものだった。
世の中でいう「閃き」とは「思いつき」であり、思いつきをたくさん重ねて数打ちゃ当たるの方法で答えに辿り着くのが発想法であり、その際たる例がブレストであり、俺がブレストを大嫌いな理由でもある。

でもそれだけでは弱く、そのアイデアを出すための「問い」の方にこそ本質はある。
問いを言い換えるなら「コンセプト」。
例えば「トレモロのないブラックメタルは作れるか」が問い。
ブラックメタルの本質はトレモロだろ、となるかもしれないけど、そんなことは知らない。
結果としてダンジョンシンセになるなら、それが答えでありアイデアとなる(かなり適当なことを書いているので信じないでください)。

それと、本質に反するコンセプトを生み出した場合、そこから答えば導き出すことができれば、それは「イノベーション」の可能性が高い。
結局、問立てにしても「常識に縛られてないか?」が重要で、常識に縛られていたらイノベーションを生むコンセプト、問立ても作れない。
世の中、アイデアやイノベーションを求める人というのは多いけど、それは問いなき答えを求めていることで自分からすると滑稽に見える。
アイデアが欲しければまずは問いであり、コンセプトを固めることである。
コンセプトさえ決まれば、後は因数分解で簡単に答えとしてアイデアは導き出される。

巷で言われる、何かと何かを組み合わせるのがアイデア、という話は嘘っぱちなので信じないでください。

それと、宮本茂の言った「アイデアとは、複数の問題を一気に解決するものだ」 は得意中の得意なので任天堂は俺を雇ってください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?