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私は私の情緒がわからないまま
大人になってまで、えーーんえーーんと絵に描いたように大泣きするとは思っていなかった。
そして子どもの頃と明らかに違うのは、なんで自分が泣いているのか、大抵の場合はっきりしないことだ。いや、一周まわって同じなのかもしれない。ただ、今の自分の在り方がしっくりこないせいで、何かが居心地悪く、私の柔らかいところを蝕んでいく。そういう時、このままじゃ良くないということだけが直感されて、削られていって、でも
皐月の頃合いの山口生活より
東京から1000km離れてみたけど、マインド的にも行動的にもなんら変わっていなくて書けないなと思っている今日この頃です。まだ住んで1.5ヶ月くらいなので分かりませんが、変わっていないなっていうことを書こうかなと。
探そうと思えば、違いとしては沢山あるんですよ、
・デパートみたいなところや大型図書館、シネコン系映画館みたいなところにサクッと行きたくても行けない(車持ってない故)
・人が多すぎなくて
グッバイ2023|振り返ることと集まることと遠くにいくこと
気付いたら大掃除後のピカピカ綺麗な部屋で、ひとり目を覚ました年越しでした。(一回起きたら実家に行こうかなとも思っていた)
家族愛の類の引力にどうにかしようと思ってた訳じゃないんだけども、結果的に紅白や実家への帰省も年越しそばやおせちなんかを遠目に、小原庄助さんの歌を口ずさみながらフレンチトーストの元旦です🥞
振り返ってテキストを書くのが億劫で、私が今年の出来事を主観で振り返ることに意味あんのか
御歳99才の私のおばあちゃんが死んだ。
おばあちゃんの顔が曖昧だ。思い出せない。
でも、私の中でのおばあちゃんの象徴である、カルキの抜けていない水で作ったお味噌汁の味や、年越しの寒い時期の高級な羽毛布団にくるまってもくるまっても尚あったまらない手足の先や、オニヤンマを追いかけて走った砂利道、洗濯物を畑まで干しにいく丸まった背中、些細なことでずっと笑いの止まらない私と母親とおばあちゃんの酸欠になりそうな笑い声、おじいちゃんの介護のための簡
TANZ says “This is dance” ─綺麗にパッケージされた「不快」
秋山きらら
フロレンティナ・ホルツィンガーによる『TANZ(タンツ)』は、これこそがダンスであるとでも言うように、ダンスを取り巻く様々な構造、印象、特徴を剥き出しにし、時に真逆のことをすることで強く観客に印象付ける作品である。そのためにホルツィンガーは、ロマンティックバレエの形式を乗っ取り、アクロバティックなワイヤーアクションや、不揃いな女性の裸体の露出、放尿、破壊といったイメージを次々に、そし